硫黄島は自衛隊基地があり、民間人立ち入りが原則禁止されている島です。しかし、この島にはもう一つの知られざる問題があります。かつてここで暮らした元島民やその子孫が、今なお自由に島へ帰れないという、知られざる問題を抱えています。これは戦時中の強制疎開命令が未解除という世界でも稀な状況で、日本国憲法が保障する居住・移転の自由に関わる深刻な課題です。本記事では、「帰れない島」硫黄島が抱えるこの実態に迫ります。
荒波が打ち寄せる孤島の海岸線。硫黄島のような「帰れない島」のイメージ
消滅した島民史
硫黄島の日本領有は1891年に遡ります。開拓民の入植が始まり、島民は53年間、小さな島で一つの家族のように平和で豊かな暮らしを営みました。しかし太平洋戦争の戦況悪化に伴い、1944年7月14日、最後の島民を乗せた船が島を離れ、強制疎開が完了しました。本土へ送られ全国各地に散り散りになった島民たちの歴史と文化は、この日事実上消滅しました。
「違憲」指摘される硫黄島の現状
終戦から長い年月が経過しましたが、元島民やその子孫の自由な帰島は今も認められていません。現在島に居住できるのは自衛隊基地関係者のみであり、その人数は公表されていません。自国領土でありながら国民の自由な立ち入りが制限されるのは北方領土も同様ですが、硫黄島のように戦時中の疎開命令が解除されず、21世紀になっても居住の自由が認められないケースは世界的に稀有な例です。これは日本国憲法第22条が保障する居住・移転の自由に抵触する可能性があり、「違憲の島」とも呼ばれます。メディアの渡航も規制が続いており、島の現状は国民から長い間覆い隠されてきました。戦火で焼けただれた荒廃の島のイメージが更新されないまま、時間が止まっているかのようです。
兵士と島民、二重の「帰れない」声
硫黄島を巡る問題には、兵士の帰還と島民の帰島の二つの側面があります。戦没者約2万人のうち1万人が未帰還である一方、強制疎開させられた元島民もまた故郷に自由に帰れないという、あまり知られていない事実があります。北海道新聞記者の酒井聡平氏は、自身の著書『死なないと、帰れない島』の中で、多くの人が知る「兵士が帰れない理由」だけでなく、「島民が故郷に帰れない理由」にも関心を持つべきだと提起しています。
2024年2月、元島民である山下賢二氏の長男、達美氏は、インタビューの終わりにメディアの報道不足について強く訴えました。「なんでもっとマスメディアがね、しっかりね、伝えないのかと…」と述べ、この事実が広く国民に知られていない現状への無念さを吐露しました。
根深い「帰れない島」問題
硫黄島における元島民の自由な帰島が現在も認められない問題は、歴史的背景に加え、日本国憲法上の権利に関わる現代的な課題です。戦時中の強制疎開命令がいまだに解除されていないという世界でも特異な状況は、この問題の根深さを示しています。戦没者同様、あるいはそれ以上に、故郷への帰島を阻まれ続けている元島民たちの声に耳を傾け、この「帰れない島」が抱える知られざる実態と背景を多くの国民が知ることが、今改めて求められています。
参考資料
- 酒井聡平『死なないと、帰れない島』講談社
- Yahoo!ニュース (PRESIDENT Online 2024年7月14日掲載)