NHK『あさイチ』はじめ情報番組のレポーターとしておなじみの副島淳さん。一度見たら忘れられない存在感と明るいトークが印象的な副島さんですが、ミックスルーツ(ハーフ)の見た目から、小学生の時はいじめに遭っていました。また、複雑な家庭環境が原因で誘拐事件に巻き込まれたことも。幼少期の壮絶な体験を振り返ってもらいました。 (全3回中の1回)
【写真】「あまりのつらさに絶望した」幼少期の副島さん ほか(5枚目/全16枚)
※本記事は「自殺」に関する描写が出てきます。体調によっては、ご自身の心身に影響を与える可能性がありますので、閲覧する際はご注意ください。
■生まれたときから父親はいなかった
── お母様は日本人、お父様はアフリカ系アメリカ人だそうですね。父親とは一緒に暮らしたことがなく、お母さん、おばあさんと3人で生活していたとか。どのような暮らしでしたか?
副島さん:貧しかったです。父と母は正式に結婚していなかったので、母は一人で僕を産んだそうです。母はずっと外に働きに出ていたので、祖母が僕のめんどうを見てくれていました。大田区の蒲田に住んでいたのですが、家にお風呂はなく、銭湯に通っていました。でも3人で仲良く楽しく暮らしていたので、貧しくて生活が大変だということは感じていなかったです。
── いつごろから、ほかの家と違うかも?ということを認識されたのでしょうか。
副島さん:保育園に通っていたころ、葛飾区に引っ越したのですが、それでも貧しさや不便さなどは感じていませんでした。周りの子との差を強烈に意識したのは、小学校に入ってからです。たとえば、当時スーパーファミコンが流行っていたのですが、僕だけ持っていませんでしたし、正月にお年玉の話になって「僕は誰からももらってないな…」ということに気がつき始めて。小学生になってから「うちって貧しいのかも」というのを認識し始めました。
── お引越しされたのは何かきっかけがあったのですか?
副島さん:母親にパートナーができて、一緒に住むことを見据えて引っ越したんだと思います。僕が8歳のころに再婚して妹が生まれ、最初はうまくいっていたのですが、そのうち両親の仲が悪くなって。祖母は一緒に居づらくなったのか、実家がある福島に帰ってしまいました。