現在、日本が直面する社会保障制度の根幹を揺るがしかねない問題として、生活保護利用者の増加とその複雑な背景が挙げられます。特に高齢者世帯や将来的な「就職氷河期世代」の高齢化が、最後のセーフティーネットである生活保護制度に大きな圧力をもたらしています。この問題の核心は、制度そのものにあるのではなく、その「外側」に存在する社会システム全体の不全にあると指摘されており、現場の視点からその実態を深く掘り下げます。
明治大学専門職大学院ガバナンス研究科教授の大山典宏氏は、「誰にも頼ることができず、年金も満足に貰えず、それでも地域で暮らす高齢者が増えていくことは間違いない」と強く警鐘を鳴らしています。団塊世代が全員75歳以上となる今年、生活保護世帯に占める65歳以上の高齢者世帯の割合は55.4%に達し、日本の高齢化率(29.3%)を大幅に上回っています。さらに懸念されるのは、今後10年で「就職氷河期世代」が高齢期に差し掛かることです。彼らの多くが低年金または無年金状態に陥る可能性が高く、このまま放置すれば、生活保護利用者が爆発的に増加する「巨大な集団」として現れることが予測されています。
東京都山谷地区の風景。同地は日本有数のドヤ街として知られ、生活保護受給者が集中する地域として日本の貧困問題の象徴となっている。
日本のセーフティーネット、現状と課題
立命館大学産業社会学部准教授の桜井啓太氏は、生活保護制度そのものよりも「外側」に問題があると指摘します。「最後のセーフティーネット」であるからこそ、その外側にある他の社会保障制度や支援体制の不備が、生活保護制度へと押し付けられている現状があるのです。この「外側」の問題を理解するには、まず生活に困窮した人々を取り巻く具体的な環境を知る必要があります。
生活困窮者が行政から紹介される施設の一つに、「無料低額宿泊所(以下、無低)」があります。1990年代後半には全国で数十カ所程度だったその数は、2022年には649カ所にまで急増しました。この増加は、ITバブル崩壊後の2000年代前半からリーマンショック後の2010年代にかけての、日本全体でホームレス状態の人が増加した時期と重なっており、無低が彼らの〝受け皿〟として機能してきた歴史を物語っています。
「最後のセーフティーネット」を圧迫する外部要因:無料低額宿泊所の実態
しかし、無低の増加は新たな問題を生んでいます。2020年に厚生労働省が行った調査では、ベニヤ板などで居住空間を区切っただけの狭小な「簡易個室」が全国で2,108室確認されました。同省はこれを2022年度末までに解消する方針を示しましたが、その後の是正状況は依然として明らかにされていません。埼玉県でホームレス支援を行う独立型社会福祉士事務所NPO法人ほっとポット代表理事の宮澤進氏は、「国は簡易個室を営む事業者を一切容認してはならない。憲法第25条2項に規定された国の責務はどこへ行ったのか」と、国の姿勢に強い憤りを示しています。
本来、無低は生活保護の利用者がアパートなどの住居を確保するまでの「一時的な」滞在場所とされています。しかし、手元に残る日銭がわずかなため転居の準備が整わず、長期間にわたって入居を余儀なくされる人々も少なくありません。東京・山谷地区で活動するNPO法人自立支援センターふるさとの会元代表理事の瀧脇憲氏によれば、入居者の中にはアパートでの独り暮らしに不安を感じる人も多く、無低がこうした利用者の実情に応えてきた社会的役割は一概には否定できません。
しかし、2020年の同調査では、入居者の半数以上が「福祉事務所からの紹介」で暮らしており、生活保護を利用する世帯にとって無低が「唯一の選択肢」となりつつある実態が浮き彫りになっています。この状況に付け込むように、一部には悪質な事業者も存在し、彼らが高額な利用料を搾取することで税金が食い潰されるという事態は、断じて避けなければなりません。
結論
日本の社会保障制度は、高齢化の進展と非正規雇用の拡大が生み出した新たな社会構造の中で、その本来の機能を維持することが困難になりつつあります。生活保護制度が「最後のセーフティーネット」として機能するためには、その「外側」にある年金制度、雇用制度、住宅政策など、社会全体を支える基盤の強化が不可欠です。無料低額宿泊所の問題はその一端に過ぎず、憲法に定められた国の責務を果たすためにも、包括的な社会福祉政策の見直しと、困窮する人々が真に自立できる環境を整備することが、喫緊の課題として求められています。
参考文献
- 大山典宏. 明治大学専門職大学院ガバナンス研究科教授.
- 桜井啓太. 立命館大学産業社会学部准教授.
- 宮澤進. 独立型社会福祉士事務所NPO法人ほっとポット代表理事.
- 瀧脇憲. NPO法人自立支援センターふるさとの会元代表理事.
- 厚生労働省. 「無料低額宿泊所の状況調査」. (2020年).
- WEDGE Infinity. 「貧困ビジネスがはびこる『無料低額宿泊所』の闇、憲法25条を問う」. (参照元記事)
- Yahoo!ニュース. (提供元記事)