「あいつが、ジョディに何をしたのか。父親なら誰でもやるはずだ。俺はそうせずにはいられなかったんだ!」
これは、1984年にアメリカで実際に起きた殺人事件の加害者、ゲイリー・プラウシェの言葉です。被害者は空手コーチのジェフリー・ドーセ。加害者はその教え子の父親でした。一体この二人の間に何があったのでしょうか。我が子を無惨に傷つけられた親、あるいは学生時代にひどいイジメに遭った者が、自らの手で仕返しを果たした国内外の戦慄の事件を取り上げた新刊『世界で起きた戦慄の復讐劇35』(鉄人社)より、その一部始終をお届けします。
息子を凌辱した空手コーチへの父の復讐
事件の幕開け:空港での衝撃的な射殺
1984年3月、アメリカの空港で全米を震撼させる衝撃的な事件が発生しました。警察官に手錠をはめられ、通路を歩いていたのはジェフリー・ドーセ(当時25歳)。彼は前年に当時11歳の少年、ジョディ・プラウシェを誘拐し、性的暴行を加えた罪で裁判を受けるため護送されている最中でした。その瞬間、突如として帽子とサングラスを身につけた中年男性が現れ、ドーセに向けて銃を発砲。銃弾はドーセの右側頭部に命中し、彼はその場で苦しむことなく崩れ落ちました。
発砲したのは、性被害に遭ったジョディの実父、ゲイリー・プラウシェ(当時38歳)でした。まさに息子を凌辱した犯人への、激しい復讐劇が白昼堂々と行われたのです。この一連の出来事は、たまたまその場に居合わせたテレビクルーによって撮影されており、その映像が全米に放映されると、大きな衝撃と議論を巻き起こしました。
1984年のアメリカで起きた衝撃的な事件、息子を性的暴行した犯人への父の復讐劇
加害者ドーセと父ゲイリーの背景
犯行に及んだゲイリー・プラウシェの半生は、決して順風満帆なものではありませんでした。空軍の衛生兵として働き始めた頃からアルコールに溺れるようになり、次第に家庭生活を顧みなくなっていきます。妻のジューンは、家計を支えるために複数の仕事を掛け持ちしながら、子どもたちを懸命に育てていました。
そんな中、1982年に子どもたちは空手教室に通い始めます。同年12月からは、ジェフリー・ドーセが彼らのレッスンを受け持つようになりました。ドーセは熱心な指導と親切な態度で母親たちの信頼を得て、レッスン後に子どもたちを家まで送り届けるなど、生徒たちとも打ち解けていきました。しかし、この男には周囲が想像だにしない恐ろしい過去があったのです。ドーセ自身も幼い頃から性的虐待を受けて育ち、わずか17歳の時にはすでに児童への性的虐待で逮捕された経歴があったのです。そんな彼が、特にお気に入りだった生徒の一人、ジョディに牙をむきました。
明らかになる真実と父の決意
ジョディの告白と性被害の証拠
1984年3月、カリフォルニア州から帰国したジョディは家族と再会しました。しかし、ドーセとの間に何があったのかについては、かたくなに口を閉ざしていました。事態が動いたのは3月9日。ジョディに対する直腸検査が行われ、そこで精子の存在が明らかとなったのです。これにより、ドーセによるレイプが科学的に証明されました。この揺るぎない事実を突きつけられ、ジョディはついに事の真相を語り始めました。しかし、彼は母親ジューンに対し、父親であるゲイリーにだけは本当のことを言わないでほしいと、涙ながらに懇願したと言います。
復讐の計画と実行
しかし、母親のジューンは息子のジョディが性的被害に遭ったという衝撃的な事実を、電話で夫ゲイリーに伝えました。数日後、ゲイリーはクローゼットの上に隠してあった38口径の銃を持ち去ります。その直後、偶然にもテレビ局の記者から、性的暴行犯であるジェフリー・ドーセが空港に到着する具体的な日時を聞いたゲイリーは、息子を傷つけた男への復讐を実行する機会を掴んだのです。
ゲイリー・プラウシェの行為は法的には殺人であり、許されるものではありません。しかし、彼が息子を守りたい一心で行ったこの復讐は、被害者とその家族の苦悩、そして司法の限界という、深く重い社会問題を浮き彫りにする事件として、今も語り継がれています。
参考資料
- 『世界で起きた戦慄の復讐劇35』(鉄人社)
- Source link: https://news.yahoo.co.jp/articles/9978a8a34d6bf7e46f2ad1ec17c73fd6c968de3b