「お前らそれでも男か! 悔しくないのか!」この名台詞で一世を風靡したのは、1984年のドラマ『スクール☆ウォーズ』(TBS系)でラグビー部顧問の熱血高校教師を演じた俳優、山下真司です。その情熱的な演技で多くの視聴者の心を掴み、国民的スターの地位を確立しました。近年、彼が東京都世田谷区に所有していたと報じられる約3億円の白亜の豪邸が密かに売却され、マンションへ転居していたことが明らかになりました。この突然の住環境の変化には、一体どのような理由があったのでしょうか。
スター俳優としての輝かしい軌跡と私生活
山下真司さんは、ドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系、1972~1986年)のスニーカー刑事役で人気を博した後、NHK連続テレビ小説『おしん』や『男女7人秋物語』(TBS系)といった数々の名作に出演し、スター俳優の階段を駆け上がりました。1994年からは長寿番組『くいしん坊!万才』(フジテレビ系)の9代目レポーターも務め、幅広い層に親しまれています。
2019年のラグビーW杯日本大会ではイベントに登壇し、前回大会の南アフリカ戦での劇的勝利を振り返り「涙が止まらなかった。(今回も)一緒に戦います」と、まるで『スクール☆ウォーズ』の熱血教師を彷彿とさせるコメントで会場を盛り上げました。プライベートでは大のハワイ好きとしても知られており、コロナ禍以前は年に2回は訪れていたそうです。現地でお気に入りの創作和食店があり、その大将が日本で開いた店にも足しげく通うほどの熱心さです。
山下さんのハワイ好きは、1988年に結婚した7歳年上の元社長夫人である奥様の影響が大きいと言われています。お二人はゴルフコンペで知り合い、すぐに交際へと発展。砧公園の桜の木の下でプロポーズしたというエピソードも残されています。
俳優・山下真司、世田谷の豪邸を売却し新たな生活を模索
世田谷の豪邸、売却の背景と取引の実態
結婚後、山下夫妻は世田谷区に120坪の敷地、60坪の庭、そして2台分の駐車場を備えた2階建ての一軒家を購入し、奥様の連れ子2人を含む4人家族で暮らしていました。その後、山下さんは同じ世田谷区内に、地下1階地上2階建ての「白亜の豪邸」を建設。そのモダンで洗練されたデザインは、近隣でも評判になるほどでした。しかし、この邸宅が密かに市場に出されていたことが判明しました。
近隣住民の証言によれば、「半年ほど前に引っ越されたようです。何かトラブルがあったという話は聞いていませんが、退去後しばらく改装工事が行われていました。その後、売りに出されているようで、不動産業者が家の前で内見者を待つ光景も見られました」とのことです。偶然にも、この山下邸の道を挟んだ向かいには、立憲民主党の小沢一郎氏の豪邸が位置しており、小沢事務所の関係者も同様の反応を示しています。「今年に入ってからしばらく改装工事をされていて、山下さんご一家が戻って来られると思っていました。でも、その後売りに出されていたので、別の場所に引っ越されたのだと分かりました。以前は道ですれ違うこともありましたが、引っ越された理由は分かりませんね」と話しています。
ある大手不動産会社の営業マンは、山下邸が位置する一帯について、「古くからの邸宅が多く、会社経営者なども住むブランド化された人気エリアです。山下さんの物件は築年数もそれほど経っておらず、資産価値は非常に高い。業界では『3億円ほどで売りに出されている』という情報が飛び交っています」と説明しました。しかし、その営業マンは「山下邸は特殊な取引になりそうだ」とも付け加えました。その理由は、「山下さんの物件は、不動産の買い取りを専門とする会社が直接購入しています。不動産会社による直接購入は、市場を介さないため、売買を知られたくない著名人や、不動産を早く現金化したい方に利用されるケースが多いです。そのため、一般的な市場価格よりも安い価格で買い取られる傾向にあります」というものでした。
マンションへの転居理由と新たな決断
豪邸売却と転居の理由について、本誌が山下さんの事務所に確認したところ、「売却したのは事実です。3階建ての物件だったので、住むには広すぎたこと。また、セキュリティの面でもマンションの方が良いという判断から引っ越しました」という回答が得られました。
かつて熱血教師役で名を馳せた山下真司さんは、広大な豪邸での生活から、より実用的でセキュリティの確保されたマンションへと居を移す決断をしました。これは、まさに『スクール☆ウォーズ』で演じた教師の名台詞、「残された時間を(マンションで)燃焼しろ!」と、ご自身の人生の新たな段階に合わせた前向きな選択と言えるでしょう。この転居は、彼の俳優としてのキャリアとは異なる、一人の人間としての新たなライフスタイルへの転換を示唆しています。