【音楽と、夢に向かって】対訳作業から痛感 日本語の難しさ 小菅優

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 最近、ドイツ歌曲の詩の対訳を自分で行いました。歌曲では、音楽が作品のメッセージやイメージを伝えるのを助けてくれますが、歌詞はやはり内容を理解するために大事です。しかし、なんて日本語は難しいのだろうと思うことばかりです。

 まず、一つの言葉を訳すとき、選択肢があまりにも多くあるため、悩みます。例えばSchmerzen(痛み)という言葉は、日常でお医者さんに行って「おなかが痛いんです」というときにも使う言葉ですが、詩だと、そのまま「痛み」なのか「苦悩」なのか「苦しみ」なのか、考えなくてはなりません。

 Liebeという基本的に「愛」を表す言葉でも、日本語では「恋」とか「愛情」とか「愛する人」とか、たくさんのパターンがあり、頭を抱えます。

 また「私」という言葉はドイツ語で男も女もありませんが、日本語だと、詩の舞台や状況によって「僕」、「俺さま」、「わたくし」などから選ばなくてはなりません。

 漢字の選択も、きくという言葉は「聞く」か「聴く」か。よろこびは、「喜び」「悦び」「歓び」か。常に意味をよく考えて使わないといけないようです。

 でも日本語は分かりやすいところもあります。例えば、ドイツ語には擬音語がありません。擬音語は的確に雰囲気を表していると思います。雲が「ふわふわ」浮かぶとか、「ちくちく」と刺さるとか、「もやもや」した気持ちとか、こんなに想像しやすい言葉が他にあるでしょうか。

 ドイツ語だと「ぴちゃぴちゃと音をたてている」も一つの動詞になってしまいます。各言語によってニュアンスは全然違います。言葉によって人と人は心を通じ合わせますが、逆に勘違いすることもあると思います。

 自分を表現するのに言葉は大切な手段です。人に気持ちを伝えたりするとき、しっかりと言葉を選ばなくては、と改めて思いました。

(こすげ・ゆう=ピアニスト)

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