「うちは貧乏」口癖が招いた悲劇:裕福な老後と息子との断絶、65歳元会社員の後悔

「うちはお金がないから、贅沢はできないよ」。親が子どもにかけるこの言葉は、節約の精神を伝えたり、家計の現実を教えたりする誠実な意図から発しているのかもしれません。しかし、何気ないその一言が、子どもの心に「我慢」を深く刻み、後に親子の関係に予期せぬ影を落とすことがあります。今回は、その一例として伊東さん(仮名・65歳)のケースを見ていきましょう。

裕福な年金生活の裏に隠された「お金がない」の口癖

伊東さんは現在65歳。妻と二人で静かな年金生活を送っています。夫婦合わせた年金は月25万円、貯蓄は2,200万円を超え、長年の住宅ローンもすでに完済済みです。経済的な不安は一切なく、一見すると何不自由ない理想的な老後生活に見えます。しかし、伊東さんの心には消しがたい後悔の念が渦巻いています。それは、一人息子である聡さんとの間に生じてしまった埋めがたい溝でした。

伊東さんの口癖は、現役時代から変わらず「うちにはお金がないから」でした。実際のところ、貧しい家計状況では決してありませんでした。伊東さん自身の現役時代の年収はピーク時で800万円ほどに達し、妻もパートで働いていたため、世帯年収が1,000万円を超えることも珍しくありませんでした。それでも、伊東家の暮らしぶりは極めて質素でした。築50年の古い中古住宅に最低限のリフォームを施して住み続け、衣類は量販店やリサイクルショップで調達。外食は月に一度あるかないかで、旅行も日帰りの近場がほとんどという生活を徹底していました。伊東さん自身が貧しい育ちであったため、「子どもに贅沢は不要」という価値観が強く染みついていたのです。愛情がなかったわけではないものの、その倹約志向は時に度を超していたと伊東さん自身も後に語っています。

お金に困らないはずの老後に、息子との関係に後悔を抱える男性のイメージ。豊かな老後と親子の断絶というギャップを表現している。お金に困らないはずの老後に、息子との関係に後悔を抱える男性のイメージ。豊かな老後と親子の断絶というギャップを表現している。

息子への「条件付き」教育:大学進学から独立まで

その行き過ぎた節約志向は、息子の大学進学の際にも露呈しました。大学受験の時期を迎えた聡さんは、国立大学を目指せるほどの学力には至らず、私立大学を受験することになりました。塾代に加え、多額の受験料がのしかかる中で、伊東さんは息子に対し、「無駄打ちはできない。受験は3校まで。遠くて電車代が高すぎるところは避け、付き合いが派手な大学に行くと苦労するから庶民的な学校にしなさい」と、厳しい条件を突きつけました。聡さんはその条件内で大学を選び、無事に進学。学費の一部は奨学金を借りて賄うことになりました。

大学卒業後、聡さんは実家から会社に通っていましたが、約3年が経った頃、伊東さんは「そろそろ自分で生活しなさい」と促し、聡さんを実家から独立させました。こうして子育てから完全に解放された伊東さんが「ようやく自分たちの番だ」と感じるようになったのは、伊東さんが52歳の時でした。

念願の自宅建て替えと深まる親子の溝

伊東さんは、老後の生活を見据え、古くガタがきていた自宅を建て替えることを決意しました。長年の倹約が功を奏し、新しい家の住宅ローンは65歳を待たずに繰上げ返済できる計算でした。将来、息子が結婚して孫が遊びに来た時に宿泊できる予備の部屋も用意するなど、伊東さん夫婦は夢に見ていた新生活の準備を進めました。

しかし、息子に新居への建て替えを報告した際、聡さんからは「えっ?」という驚きの声とともに、何とも言えない微妙な空気が流れたといいます。それ以降、聡さんの帰省回数は目に見えて減少し、お正月にも実家に戻ってくることはなくなりました。寂しがる妻の姿を見て、ある時伊東さんは思わず聡さんに「親のことはどうでもいいのか?」と苛立ちをぶつけました。しかし、その時聡さんから返ってきたのは、伊東さんの想像をはるかに超える言葉だったのです。

結び:見えない「貧乏」が招く親子の断絶

伊東さんのケースは、金銭的な豊かさと精神的な充足、そして家族関係の複雑な絡み合いを示唆しています。親が良かれと思って実践した「倹約」や「お金がない」という言葉が、知らず知らずのうちに子どもの心に深い影を落とし、結果として親子の間に深い溝を生んでしまうことがあるのです。経済的な不安はなくても、精神的な「貧乏」が、取り返しのつかない後悔を招く可能性をこの事例は浮き彫りにしています。

この物語が示すのは、単なる金銭的な節約だけでなく、家族間のコミュニケーション、特に「お金」というデリケートな話題をどのように扱い、子どもにどう伝えるかという親の姿勢の重要性です。真の豊かな老後とは、資産だけでなく、温かい家族関係に裏打ちされたものであることを、伊東さんの後悔が私たちに静かに問いかけています。

参考文献