「出生取り違え訴訟」異例の判決確定!元裁判官が語る「政治的控訴断念」の深層

東京都立病院で出生時に取り違えられたとして、67歳の男性が東京都を相手に起こした訴訟において、東京地方裁判所は今年4月、「分娩契約に基づき、病院には本当の親を見つける義務がある」という異例の判断を下しました。さらに裁判所は、戸籍台帳などを用いた徹底的な調査を命じ、大きな注目を集めました。東京都はこの判決に対する控訴を断念したため、判決は確定する運びとなりました。この画期的な判決の背景と、司法の裏側で繰り広げられる人間ドラマについて、”白ブリーフ判事”として知られる元裁判官の岡口基一氏が独自の視点から解説します。

裁判官を突き動かす「異例判決」の背景と、和解の限界

裁判官が時に、法的根拠が乏しいと知りながらも、チャレンジングな判決を下したいという衝動に駆られることがあります。それは、目の前の被害者を何とかして救済したいという強い正義感から生まれるもので、特にこれまでにない新しいタイプの被害が発生し、それを救済する法律が未整備な場合に顕著です。こうした状況下では、一部の裁判官は「屁理屈に近いロジック」をひねり出し、被害者を「勝たせる」ための判決文を作成することもあります。こうした正義感に動かされやすいのは、多くの場合、第一審を担う地方裁判所の裁判官です。

一般市民の目から見れば、そのような「無理筋の判決」は、どうせ上級審で覆されるのが常識だと感じるかもしれません。しかし、必ずしもそうはなりません。高等裁判所は、地方裁判所の裁判官が「デタラメな判決」という批判を受ける覚悟で下した判決の裏にある思いや事情を酌み取ることが少なくないからです。もっとも、高裁も地裁の出した無理筋の判決をそのまま容認することはできません。そこで高裁が繰り出すのが、上級裁判所の権威を盾に「和解」を強く迫るという“ウルトラC”です。和解は「100対0」では成立しないため、結果的に被害者側が7割程度の満足を得られるような着地点で決着することが多いのです。これにより、法的には勝ちにくい事案でも、現実的な救済がなされることがあります。ただし、この方法は万能ではありません。相手方が国や地方自治体だった場合、彼らは基本的に和解に応じないという限界があるからです。

都立病院での出生取り違え訴訟を象徴する、裁判所のイメージ写真。都立病院での出生取り違え訴訟を象徴する、裁判所のイメージ写真。

「政治的控訴断念」が拓いた道:異例判決確定の裏側

今回の出生取り違え訴訟では、相手方が東京都であったため、控訴審での和解という選択肢は最初からありませんでした。その結果、高裁で判決を下すしかなくなり、地裁判決の法的根拠が乏しければ、取り消される可能性が高い状況でした。実際、今回の訴訟の判決内容は「分娩契約に基づいて、病院が本当の親を探す義務を負う」というものでしたが、分娩契約からそこまでの義務を導き出すのは通常考えにくく、判例上も極めて異例の判断と言えます。

しかし、それでも原審の裁判官は諦めませんでした。なぜなら、国や自治体であっても、政治判断によって「控訴を見送る」ことがあり得るからです。過去の事例として、2000年代前半のハンセン病患者らを救済する判決では、当時の小泉純一郎首相が厚生労働省の意向に反して控訴を断念し、国民から大きな支持を得ました。この「政治的控訴断念」の効用を、当時小泉首相の懐刀でもあった小池百合子東京都知事が忘れるはずがありません。今回の東京地裁合議体の裁判官も、まさにその可能性を見越していたのでしょう。結果として、地裁の読み通り東京都は控訴をしませんでした。そのため、法的にはグレーゾーンとも言える異例の判決が、そのまま確定する運びとなったのです。

今回の判決は「結果としての妥当性」を強く重視したものであり、被害者救済という点では大きな意味を持ちます。しかし、法的根拠を軽視した「想いの判決」が、時に独善へと傾く可能性も孕んでいることは忘れてはなりません。司法の判断が社会の要請に応えつつも、その法的根拠をいかに堅持していくかという、今後の課題を浮き彫りにする事案と言えるでしょう。


<文/岡口基一>

【岡口基一】
おかぐち・きいち◎元裁判官
1966年生まれ、東京大学法学部卒業。1991年に司法試験合格。大阪・東京・仙台高裁などで判事を務める。旧Twitterを通じて実名で情報発信を続けていたが、「これからも、エ ロ エ ロ ツイートがんばるね」といった発言や上半身裸に白ブリーフ一丁の自身の画像を投稿し物議を醸す。その後、あるツイートを巡って弾劾裁判にかけられ、制度開始以来8人目の罷免となった。著書『要件事実マニュアル』は法曹界のロングセラー。

出典:日刊SPA!
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