夏の甲子園へ!生まれつき指がない県岐商・横山温大選手が掴んだ夢の舞台

夏の甲子園に出場する県立岐阜商業高校(県岐商)の外野手、横山温大(はると)選手(高校3年)は、生まれつき左手の指がないというハンディキャップを抱えながらも、レギュラーの座を勝ち取り、夢の舞台への切符を手に入れました。「ハンディを背負っていても出来ることをアピールしたい」と語る横山選手は、8月10日に日大山形高校との初戦を迎えます。彼の挑戦は、多くの人々に勇気と感動を与えています。

夏の甲子園出場を決めた県立岐阜商業高校の横山温大選手がバットを振る姿夏の甲子園出場を決めた県立岐阜商業高校の横山温大選手がバットを振る姿

生まれた時の衝撃と野球への憧れ

横山温大選手は、3人きょうだいの末っ子として、岐阜県各務原市に生まれました。しかし、生まれた直後、ご両親は医師から衝撃的な事実を告げられます。

横山温大選手のご両親、直樹さんと尚美さんが息子の誕生当時の思いを語る様子横山温大選手のご両親、直樹さんと尚美さんが息子の誕生当時の思いを語る様子

父・直樹さん:
「生まれてすぐに医師から呼ばれて、『実はこういう風(左手の指がない)で』と言われて。やはりショックというか…」

母・尚美さん:
「野球をやらせたいから男の子がもう1人ほしいと思っていました。左手の指がないことを知って、真っ先に旦那に『野球できないね』と言ったんです」

生まれつき指がない横山温大選手の左手生まれつき指がない横山温大選手の左手

左手の指がないのは先天性で、その原因は不明です。幼稚園の頃には、「小学校に行ってもこのままなの?」「小学校に入ったら、みんなと一緒の手になるんだよね?」と、ご両親に尋ねていたといいます。それでも、野球をしていた兄と姉に憧れ、幼い頃からバッティング練習に励みました。

幼い頃からバッティング練習に励む横山温大選手。野球好きの兄姉に憧れた。幼い頃からバッティング練習に励む横山温大選手。野球好きの兄姉に憧れた。

小学3年生で地元のチームに入り、義手をつけてプレーを開始。その頃から、彼の夢は明確に「野球選手」でした。

小学3年生で「野球選手」になる夢を語る横山温大選手小学3年生で「野球選手」になる夢を語る横山温大選手

横山温大選手(2017年):
「僕の将来の夢は野球選手です。もっと野球の練習を毎日やって、みんなから憧れられる選手になりたいです」

「ハンディを武器に」中学時代の挑戦と工夫

中学生の時には、愛知県の硬式野球チーム「江南ボーイズ」に所属し、ピッチャーと外野手の“二刀流”をこなすようになりました。

中学時代、江南ボーイズで二刀流をこなす横山温大選手が投球する姿中学時代、江南ボーイズで二刀流をこなす横山温大選手が投球する姿

彼は常に2つのグローブを用意しています。ピッチャーとして右手で投げる際は、左手でグローブを使用。一方、外野手としてプレーする際は、左手ではボールを掴めないため、右手でグローブを使います。右手でボールをキャッチした後は、素早くグローブを外して「握り替え」を行い、再び右手でボールを投げるといった独自の工夫を凝らしています。

グローブを素早く外して握り替えを行う横山温大選手。この動作が彼の武器となる。グローブを素早く外して握り替えを行う横山温大選手。この動作が彼の武器となる。

横山温大選手:
「他の子と違うけど、“違う”って自分では思っていません。手が不自由だけど、ハンディとしない。逆に武器にしているんです」

そんな横山選手が中学時代に強く願っていたのは、名門「県岐商」への進学でした。
横山温大選手:
「野球を上のレベルでやっていきたいと思っているので、県岐商に行きたいと思っています」

彼の挑戦と夢は、常に家族の温かい支えによって育まれました。自宅では、父親と一緒にバッティング練習に励むなど、家族一丸となって彼の野球人生を応援し続けています。

参考資料