近年、日本社会において「熟年離婚」が顕著な増加傾向を示しています。これは、従来の離婚とは異なる背景を持ち、「人生100年時代」という長寿社会の到来、そして子育てが一段落した夫婦が直面する新たな人生の局面が大きく影響しているとされています。特に、夫の「役職定年」をきっかけとした夫婦関係の亀裂は、多くの家庭で深刻な問題を引き起こしています。本稿では、熟年離婚が増える多角的な要因を探り、特に「役職定年」が夫婦関係に与える影響について、具体的な事例を交えながら掘り下げていきます。
熟年夫婦が会話しているイメージ写真。熟年離婚を考える夫婦関係の象徴。
熟年離婚増加の背景:人生100年時代と子育ての節目
熟年離婚とは、一般的に婚姻期間が20年以上の夫婦による離婚を指します。その増加の背景には、医療の進歩による平均寿命の延伸が挙げられます。かつては定年退職後の夫婦生活が短期間で終わることも珍しくありませんでしたが、「人生100年時代」においては、退職後も夫婦で過ごす時間が大幅に長くなります。これにより、これまで我慢してきた夫婦関係の問題が表面化しやすくなるのです。
また、子供の独立や成人、つまり「子育ての卒業」も熟年離婚を決断する大きな要因となります。子供のためという共通の目的がなくなると、夫婦二人の関係性だけが残り、これまで見過ごされてきた価値観の相違や不満が顕在化しやすくなります。夫婦間のコミュニケーション不足、家事や経済的な役割分担への不満、あるいは長年のモラハラ(モラルハラスメント)などが、この節目に噴出することが少なくありません。
熟年離婚の比率を示すグラフ。近年増加傾向にある熟年離婚の現状。
ケーススタディ:役職定年が引き起こした夫婦関係の亀裂
関東に住む51歳の女性が2024年9月、57歳の夫に対し離婚調停を申し立てた事例は、熟年離婚の複雑な側面を浮き彫りにしています。この夫婦の離婚の決定的なきっかけは、夫の「役職定年」でした。
「稼ぎがある」という夫の暴言と支配
夫は出版社勤務の編集者で、管理職を務めていました。外では社交的ではない一方で、家では妻に対して「うるさいな」「バカか」「クソが」といった暴言を日常的に浴びせていました。「俺の稼ぎで食べているんだ。お前、一人じゃ何もできないだろう」といった経済力を盾にした支配的な言葉も頻繁で、これは一種の精神的な虐待、モラハラとも捉えられます。電気代の明細にまで細かく文句をつけながら、自身の趣味やインターネット費用には無頓着という、自己中心的な金銭感覚も夫婦間の溝を深めていました。
家族間の疎遠と経済的圧力
長男が私立の中高一貫校への進学を希望した際、夫は「そんな金はない」「俺は私立には行かせてもらえなかった」と拒否。これにより、長男と父親の関係はさらに悪化し、家庭内の空気は冷え込みました。約5年前からは、食事以外は顔を合わせない「家庭内別居」の状態が続いていたといいます。
「事実上のリストラ」としての役職定年
決定的な転機は、2023年4月に夫が会社から「役職定年」を宣告されたことでした。役職定年とは、多くの日本企業で採用されている制度で、50歳から60歳などの特定の年齢に達すると、管理職の肩書が一律に外され、同時に給与も下がる仕組みです。この制度は、若手の登用や人件費の抑制を目的とする一方、実質的な「肩たたき」、すなわち「事実上のリストラ」と受け止められることも少なくありません。この夫の場合も、部下のメンタル不調や退職が相次いだ後の異動であったため、結果的には営業職への配置転換となり、給与は約2割減少しました。
隠された真実と妻の決断
役職定年による給与減額後、夫は妻に相談することなく広告会社へ転職。しかし、退職金の詳細を明かさず、転職後の給与も「変わらない」と説明していましたが、実際には再び約2割減っていました。家のローンや保険の支払いがある中で、夫婦の生活費のやり繰りは一層厳しくなり、家計に大きな負担がかかることになりました。このような夫の無断での転職と、経済状況に関する虚偽の説明が、妻が離婚を決意する最後の引き金となったのです。長年のモラハラに加え、経済的信頼を失ったことで、妻は夫との生活を続ける意味を見出せなくなりました。
熟年離婚が問いかける現代社会の課題
この事例が示すように、熟年離婚は単なる夫婦間の感情的な対立だけでなく、社会経済的な変化、特に個人のキャリアパスの変容と密接に関わっています。役職定年やそれに伴う収入減は、夫婦関係のパワーバランスを変化させ、これまで抑圧されてきた不満や不信感を一気に噴出させる引き金となり得ます。人生100年時代を迎え、夫婦が共に「セカンドキャリア」や「老後」を考える中で、経済的な基盤の不安定化、そして互いへの信頼の欠如は、熟年離婚を加速させる重大な要因となっていると言えるでしょう。
熟年離婚の増加は、日本社会が直面する多様な課題を浮き彫りにしています。夫婦間のコミュニケーションのあり方、経済的な自立、そして変化する社会環境に適応する柔軟性など、私たちがより豊かな人生を送るために見直すべき点が多岐にわたることを示唆しています。
参考文献:
- 朝日新聞取材班『ルポ 熟年離婚 「人生100年時代」の正念場』朝日新書 (一部再編集)
- Yahoo!ニュース: なぜ、熟年離婚が増え続けているのか…元管理職の夫の「ある行動」が妻の我慢の限界を超えた (2025年8月12日掲載記事)
- PRESIDENT Online: 【図表をみる】熟年離婚の比率(出典=『ルポ 熟年離婚』(朝日新書)