コロナ禍でDV相談が急増した背景:移動の制限が浮き彫りにした「ホーム」の不平等

新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、社会の様々な側面に深い影響を与えましたが、中でも深刻な問題として家庭内暴力(DV)の増加が挙げられます。全国の配偶者暴力相談支援センターと「DV相談プラス」に寄せられた相談件数は、2020年度に約19万件を記録し、前年度比で約1.5倍に急増しました。これは日本だけでなく、他国でも同様の傾向が見られており、この現象の背後には一体何があるのでしょうか。

移動の自由が失われたことで悪化したDV被害

国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員・講師の伊藤将人氏の新刊『移動と階級』で指摘されているように、コロナ禍における「移動できなさ(インモビリティ)」は、最も懸念すべき事態の一つとしてDV増加に繋がりました。DV被害者にとって、暴力から避難場所へ移動することは、自らの安全を確保するための重要な選択肢です。しかし、各国で実施されたロックダウンや外出自粛といった移動制限により、DVから逃れる機会は極端に限られてしまいました。この半強制的な「移動しない・移動できない」状況が、結果としてDVの被害を深刻化させてしまったのです。

コロナ禍における家庭内暴力(DV)の増加と、移動制限による苦悩を表す女性のイメージ写真。自宅での孤立感やストレスが背景にあることを示唆しています。コロナ禍における家庭内暴力(DV)の増加と、移動制限による苦悩を表す女性のイメージ写真。自宅での孤立感やストレスが背景にあることを示唆しています。

「ホーム」の安全神話の崩壊とジェンダー不平等

社会学者の小ヶ谷千穂氏(2020)によれば、パンデミックは「ホーム」(家や居場所の意味)が決して常に「安全・安心」な場所ではなく、不平等なジェンダー関係に基づいて構築された「ジェンダー化された場所」であることを明るみにしました。これまで家庭が安定しているように見えていたのは、実際には外部から閉ざされていたわけではなく、常に外部への移動との連続性の中にあったからこそ成り立っていたとされます。

日常的な移動が支えていた家庭内の均衡

日常的な移動、例えば仕事や学校、近所付き合いといった外出の機会は、家庭内に様々な不平等を内包しつつも、かろうじてその均衡を保つ役割を果たしていました。もし家庭内で異変があれば、近所の人や知人に助けを求めたり、直接警察やシェルターに駆け込んだりといった外部との繋がりが、被害者にとっての「回路」として機能していたのです。

移動の停止が顕在化させた不平等な関係

しかし、コロナ禍で日常の移動が途絶え、家庭が「動かないもの」となったとき、内部に潜んでいた移動をめぐる不平等なジェンダー関係が明確に顕在化しました。統計的に見て、被害者になることが多い女性と加害者になることが多い男性という不平等性は広く知られていますが、もちろん逆の関係性も存在します。どちらのケースにおいても、移動は「逃げるという自由」の土台であり、その自由が奪われることがどれほど危険であるかを浮き彫りにしたのです。

結論

コロナ禍における移動制限は、単なる物理的制約に留まらず、家庭内の脆弱な側面と既存のジェンダー不平等を浮き彫りにしました。DV相談件数の急増は、人々の安全と尊厳を守る上で、移動の自由がいかに不可欠な要素であるかを改めて示唆しています。社会が危機に直面した際、人々の基本的な移動の権利が守られることの重要性を認識し、より強固な支援体制を構築することが今後の課題と言えるでしょう。

参考文献

  • 伊藤将人. 『移動と階級』. 講談社, 2023. (本稿は同書の一部抜粋を含む)
  • 小ヶ谷千穂. 「パンデミックとジェンダー化されたホーム」. 2020. (本稿は小ヶ谷氏の論に依拠)