ウクライナ戦争孤児支援に尽力する日本人元プロボクサー高垣典哉氏:キーウに留まる決断と活動の軌跡

2022年2月のロシア侵攻から3年半が経過したウクライナでは、戦争の長期化により国際社会の関心が薄れつつある中、首都キーウに留まり戦争孤児の支援を続ける日本人男性がいる。大阪府出身の元プロボクサー、高垣典哉さん(59)だ。ロシア軍による攻撃で子供を含む多数の死傷者が発生し、民間人が標的となる危険が続く状況下でも、高垣さんは増え続ける孤児たちのために、日の丸のゼッケンをまとい、各地を訪れ支援活動を続けている。

ウクライナ戦争孤児への継続的な支援活動

高垣さんの活動は、開戦直後から現在まで続いている。今年5月、キーウ近郊のリテーシュ小学校で撮影された動画には、ウクライナ国旗の青と黄色に日の丸をあしらったゼッケンを着用した高垣さんとボランティアたちが、子供たちと交流する様子が映し出されていた。これらの子供たちの多くは、東部戦線で親を失った戦争孤児だという。

高垣さんは「いまでも、行くたびに孤児が増えている」と語り、現地で結婚した自身の子供たちと同年代の孤児たちに対する深い思いを明かしている。「できれば孤児を引き取りたいくらいだが、それは難しい。せめて日本人が来てくれてよかったと思ってほしい」。この願いを胸に、ロシア軍が撤退した地域の孤児たちを支援するボランティアを継続している。2022年4月に訪れたウクライナ北部の村では、食料や歯磨き粉などの生活用品をトラックで運び届けたが、その地は水も電気もなく、電話やインターネット網もロシア軍によって切断されていたという。同年7月には東部ハリコフを訪問し、「10分おきに砲弾の音が聞こえた」と、緊迫した状況を振り返った。

キーウ近郊の小学校でウクライナの子供たちと交流する日本人ボランティア高垣典哉氏キーウ近郊の小学校でウクライナの子供たちと交流する日本人ボランティア高垣典哉氏

キーウに留まる決断とその背景

大阪府守口市出身の高垣さんは、高校卒業後にプロボクサーとしての道を歩んだ。その後、米国留学やロシアでの仕事を通じて、ウクライナ人の親しみやすさに魅力を感じ、2008年からウクライナに居住。結婚相談事業などを手掛けてきた。

開戦当初、多くの外国人がキーウから避難したが、高垣さんは現地に留まることを決意した。「妻の親族や、自身が経営する会社に勤務し国外に出られない男性社員らを置いていけない」という強い思いが、その決断の背景にあった。数十キロ先までロシア軍が攻め込み、一時ゴーストタウンと化したキーウの街中をオンラインで中継する高垣さんの映像は、当時多くの日本のメディアで報じられ、現地の状況を日本に伝えた。彼は今も、危険と隣り合わせの地で、子供たちの未来のために活動を続けている。

結論

ウクライナにおける戦争孤児の増加と、国際社会の関心の希薄化という厳しい現実の中で、元プロボクサーの高垣典哉氏の地道で献身的な支援活動は、希望の光となっている。彼は自身の身の危険を顧みず、家族や社員への責任感、そして何よりも子供たちへの深い愛情からキーウに留まり、活動を続けている。高垣氏の行動は、遠く離れた日本からも支援の手を差し伸べ、ウクライナの未来を担う子供たちに寄り添うことの重要性を私たちに改めて教えてくれる。

参考文献