南米チリは、世界有数の銅生産国として知られる一方で、その社会経済構造の根底には、日本とは異なる「労働組合」の存在感と影響力が見て取れる。特に、国営企業や主要産業における労働組合は強固な交渉力を持ち、労働者の権利と待遇を向上させる重要な役割を担っている。本稿では、チリ各地で目撃された労働組合活動の実態を通して、その「強さ」の背景を探り、日本の労働環境や将来の働き方を考える上での示唆を提示する。
マゼラン海峡の要衝プンタ・アレーナス:国営石油公社ENAP組合の厚遇
マゼラン海峡に面するチリ最南端の都市プンタ・アレーナスは、パナマ運河開通以前は主要な寄港地として栄え、現在もパタゴニアや南極クルーズの玄関口となっている。この歴史ある港町の一等地に、「Club de Sindicato ENAP(ENAP労働組合クラブ)」の建物は存在した。ENAP(Empresa Nacional del Petróleo)はチリ国営石油公社の略称であり、シンジケートはスペイン語で労働組合を意味する。市街地を一望できる好立地で組合員向けの懇親クラブを運営している事実は、国営企業における労働組合の確固たる「力」を如実に物語っている。ENAPプンタ・アレーナス支社周辺では、早朝に真新しい外国製大型バスが労働者をピックアップし、海岸沿いの石油・ガス掘削現場へと送り届ける様子が確認された。これらの状況から、国営石油公社の労働者たちが手厚い待遇を受けているであろうことが推測される。
銅輸出拠点アントファガスタ:公立保育園保育士たちの待遇改善要求
チリ北部の主要都市アントファガスタでは、海を見下ろす市街地の公立保育園で、保育士たちによる待遇改善を求める抗議活動が繰り広げられていた。園の壁には「週40時間労働を守れ」「年間〇〇日の有給休暇を」「保育士にも人権はあるぞ!」など、手書きのビラが何枚も貼られ、彼女たちの切実な要求が読み取れた。この保育士たちは、公立学校教職員組合に所属しているという。日本でも保育士の給与水準引き上げや待遇改善が長年の課題となっているが、保育園でこうした要求ビラを目にしたり、保育士による大規模なデモ行進を聞いたりすることは稀である。多くが私立運営である日本では、職能別組合の組織化が進んでいない現状が、要求の可視化や組織的交渉の障壁となっているのかもしれない。
世界最大の銅鉱山エスコンディダ:BHP社と組合が結ぶ「異例」の合意
アントファガスタ郊外の19世紀の銅精錬所史跡に隣接する博物館では、チリ鉱山業の壮絶な歴史が展示されていた。1879年の太平洋戦争を経て獲得された北部砂漠地帯で銅鉱山が開発され、かつては狭い坑道での作業に多くの児童が使役されたという。この博物館は、生産量世界最大のエスコンディダ銅鉱山の権益を保有する豪州資源大手BHP社がスポンサーを務め、BHPの環境保護、労働者福祉、地域社会への貢献に関する取り組みを紹介するコーナーが設けられていた。
BHPのロゴマークを身につけたガイドの女性は、労働者福祉の最新事例として、2024年夏のエスコンディダ鉱山でのストライキ回避交渉を挙げた。労働組合との誠実な交渉の結果、BHPは組合員に対して一時金3万2000ドルと、追加の低利融資枠2000ドルを受け入れたという。当時のレートで1ドル145円と換算すると、一時金は約464万円に相当する。チリの年間平均所得が約1万7000ドルであることを考えると、銅鉱山組合員(正社員)へのこの一時金は「破格」と言える。チリ国営銅鉱山会社のチュキカマタ鉱山での情報によれば、こうした一時金は数年に一度支給される制度とのことだが、それにしても異例の厚遇であることは間違いない。
チリの銅鉱山と強力な労働組合、そして非正規労働者の現状。
本稿で紹介したチリの事例は、国営企業や基幹産業において労働組合が非常に強力な影響力を行使し、労働者の待遇や権利を大幅に向上させている現実を浮き彫りにする。国営石油公社の手厚い福利厚生、保育士による待遇改善の組織的な要求、そして世界最大級の銅鉱山における組合員の破格の一時金は、いずれも「強き労働組合」が社会の中で機能している証左と言えるだろう。これらの事実は、労働組合の組織率が低下し、非正規雇用が増加する日本社会において、労働者の権利保護や待遇改善、ひいては社会全体の均衡をどのように図るべきか、示唆に富む問いを投げかけている。チリの経験は、日本の労働市場が直面する課題を考える上で貴重な視点を提供してくれるはずだ。