日航機墜落40年:生存者の兄が語る“失われた家族と再生”

1985年8月12日、御巣鷹の尾根に日本航空123便が墜落してから、今年で40年という節目の年を迎えました。この未曾有の大惨事において、“奇跡の生存者”と呼ばれた川上慶子さんの兄である川上千春さんの手記は、多くの人々に深い感動を与えました。本記事では、両親と末妹を失った千春さんが、いかにして深い喪失感から立ち上がり、新たな人生を歩んだのか、その再生の物語を紐解きます。

1985年8月12日:家族を襲った悲劇と深い心の傷

1985年8月12日18時56分、群馬県多野郡上野村の御巣鷹山で発生した日本航空123便墜落事故は、乗客乗員520名もの尊い命を奪いました。この便には、当時41歳だった父の英治さん、39歳だった母の和子さん、そして12歳の妹・慶子さん、7歳の妹・咲子さんの4人が搭乗していました。慶子さんは奇跡的に生還したものの、両親と咲子さんは帰らぬ人となりました。

御巣鷹の尾根で日航機墜落40年、犠牲者を悼む「8.12」のライトアップ御巣鷹の尾根で日航機墜落40年、犠牲者を悼む「8.12」のライトアップ

事故後、千春さんは「人生なんてどうでもいい。いつ死んだっていい」と自暴自棄な精神状態に陥り、当事者である慶子さん以上に深く心を病んだと語っています。家族を突然失った悲劇は、千春さんの心に計り知れないトラウマと喪失感を刻み込みました。

新たな家族との出会い:再生への道のり

しかし、結婚し、子供ができたことで、千春さんの人生は大きく変わりました。無条件に慕い、大切にしてくれる新たな家族の存在は、彼の精神状態を安定させる大きな支えとなりました。「一緒に生きる仲間がいることの大切さ」に、大人になってようやく気づいたのです。

親となった千春さんの身体の内側からは、「至らない人間なりにベストを尽くして家族を守っていかなくては。頑張って生きていかなくては」という強い感情が湧き上がってきました。事故と正面から向き合い、自分の中で心の整理ができるまでに、実に30年という長い年月が必要だったのかもしれないと彼は振り返ります。

姉妹の絆と未来への願い

現在、千春さんは島根県で3人の子供たちに囲まれて暮らしています。かつて、両親と彼、そして慶子さんと咲子さんの5人が暮らした家に、今では自身の家族が住んでいます。妹の慶子さんもまた、3児の母親として子育てに奮闘する日々を送っています。

川上千春氏が亡き母へ捧げた詩:家族への深い愛情と追憶川上千春氏が亡き母へ捧げた詩:家族への深い愛情と追憶

慶子さんと千春さんが、両親と咲子さんと過ごした過去について直接語り合うことはありません。しかし、川上家が三人兄妹だったという事実は、言葉に出さずとも2人にとってかけがえのない大切なことでした。お互いが自然と「大きな家族を作りたい」と願っていたのかもしれません。千春さんは、近い将来、3人との思い出を語りながら、慶子さんと「理想の家族」についてゆっくりと話せる時が来ることを信じています。

この悲劇を乗り越え、新たな家族の温もりの中で人生の意味を見出した千春さんの物語は、喪失と再生、そして家族の絆の尊さを私たちに教えてくれます。

参考文献:
「文藝春秋」2015年9月号: 川上千春氏の手記より