天達武史氏への“いじり”が波紋 – 故・小倉智昭氏との比較に見るメディアの「リスペクト」とは

朝の情報番組『サン!シャイン』(フジテレビ系)で気象キャスターを務める気象予報士・天達武史氏へのスタジオでの“いじり”が、現在、視聴者の間で大きな波紋を呼んでいます。この問題は、単なるタレント間のやり取りにとどまらず、故・小倉智昭氏が行っていた天達氏への「いじり」と比較され、テレビ番組におけるコミュニケーションのあり方、特に「いじり」が持つ意味や、そこに込められるべき「リスペクト」について、深く考えさせるきっかけとなっています。SNS上では、不快感を示す声が相次ぎ、コメンテーターの言動がメディアの倫理、ひいては社会に与える影響が改めて浮き彫りになっています。

「隠れ前線」めぐるスタジオの応酬とその波紋

8月28日に放送された『サン!シャイン』のお天気コーナーで、天達武史氏は天気図に描くほどではない「隠れ前線」について解説しました。これに対し、スタジオにいたタレントで作家の遥洋子さんが、「その心は?」「隠れた心は?」などと、畳みかけるように天達氏を追及。さらに、同席していたジャーナリストの峯村健司さんも「オチがないと」と、天気予報の本筋とは関係ないところで天達氏を追い込むような発言をしました。スタジオは笑いに包まれたものの、このやり取りに対し、SNS(旧X)では不快感を示す声が殺到しました。視聴者からは、「人をいじって笑いを取ろうとする姿勢が不快」「コメンテーターの言動が失礼」といった批判が多数寄せられ、番組制作側や出演者の意識に対する疑問の声が上がっています。

故・小倉智昭氏との「いじり」の違い – 「愛」と「芸」の境界線

今回の「いじり」が特に物議を醸した背景には、天達氏が長年、前番組『情報プレゼンター とくダネ!』で故・小倉智昭氏と築き上げてきた関係性があります。『とくダネ!』では、小倉氏が天達氏を「アマタツー!」と呼びかけるのが名物となっており、その後の軽妙なやり取りは視聴者から好評を得ていました。SNS上では、多くのユーザーが小倉氏の「いじり」には「愛があった」と評価し、今回の遥氏らの対応との違いを指摘しています。

故・小倉智昭氏の笑顔のポートレート。生前の人気ぶりと、彼が気象予報士の天達武史氏に対して行っていた「いじり」に「愛があった」と評価する声が多いことを示唆する。故・小倉智昭氏の笑顔のポートレート。生前の人気ぶりと、彼が気象予報士の天達武史氏に対して行っていた「いじり」に「愛があった」と評価する声が多いことを示唆する。

ある放送作家は、この違いについて次のように解説しています。「小倉さんは長年フジテレビの朝の顔を務めた大物キャスターであり、天達氏への対応は、ビートたけしさんの“たけし軍団いじり”や、和田アキ子さんの“アッコファミリーいじり”のような、ある種の“芸”として成立していました。しかし、天達氏との関係が薄い人が、小倉氏と同じノリで軽薄な態度を取ったことで、『失礼』『不快』と受け取られてしまっているようです」。これは、いじる側と、いじられる側の関係性や、いじる側の社会的立場、そして何よりも「相手へのリスペクト」の有無が、受け手の印象を大きく左右することを示しています。

過去の類似事案と「いじり」に求められるもの

フジテレビでは、2024年7月にも『めざましテレビ』のYouTubeチャンネル「めざましmedia」内で、先輩アナウンサーらが新人だった上垣皓太朗アナに対し、容姿をいじるシーンが問題となったことがありました。上垣アナは20代ながらベテランのような雰囲気を持つことで知られ、『FNS明石家さんまの推しアナGP』に出演した際には、明石家さんまさんから「入社15年め?」といじられています。この場合、さんまさんの「いじり」は、フジのアナウンサーやスタッフとの間で「お家芸」として受け入れられていたため、笑いに繋がりました。

これらの事例が示すのは、誰かを“いじる”行為には、単なる親愛の情だけでなく、相手への深い“リスペクト”と、不快にさせない“実力”が不可欠であるという点です。特に公共性の高いテレビ番組においては、視聴者全体の多様な価値観を考慮し、不適切なコミュニケーションがハラスメントと捉えられないよう、より一層の配慮が求められます。メディアにおける「いじり」は、時に番組を盛り上げる要素となり得ますが、その境界線を誤れば、出演者だけでなく、番組そのものへの信頼を損なう結果を招きかねません。

まとめ

今回の天達武史氏への“いじり”をめぐる波紋は、テレビ番組における「いじり」文化の複雑さと、それに伴うメディアの責任を浮き彫りにしました。故・小倉智昭氏の「愛のあるいじり」と、今回のような不快感を伴う「いじり」との決定的な違いは、相手への「リスペクト」と、それを笑いに昇華させる「実力」の有無にあると言えるでしょう。今後、テレビ番組を制作・出演する側は、視聴者の感情や社会の変化を敏感に察知し、ユーモアと尊厳のバランスを慎重に見極めることで、真に価値あるコンテンツを提供していくことが期待されます。

参考資料