1988年9月1日:日産セフィーロがトヨタ マークII 3兄弟に挑んだ「ハイソカー」の記憶

365日、毎日が何らかの記念日である中で、本日9月1日は、日本の自動車史において重要な一台が誕生した日として記憶されています。1980年代後半、バブル景気の只中で「ハイソカー」ブームが絶頂期を迎える中、トヨタの「マークII」3兄弟(マークII、チェイサー、クレスタ)が市場を席巻していました。そんな時代に、日産自動車が満を持して投入した対抗馬こそが「セフィーロ」です。人気のS13型「シルビア」のセダン版を思わせるそのスタイリッシュな佇まいは、当時の若者層を強く惹きつけました。

日産セフィーロ初代モデルのフロントビュー。1988年9月1日に発売され、トヨタ マークIIに対抗したスタイリッシュな4ドアセダン。日産セフィーロ初代モデルのフロントビュー。1988年9月1日に発売され、トヨタ マークIIに対抗したスタイリッシュな4ドアセダン。

若者層を魅了した日産セフィーロの誕生

1988年(昭和63年)9月1日、日産自動車は「ハイソカー」という時代を象徴するカテゴリーを強く意識した新型4ドアセダン「セフィーロ」を市場に送り出しました。その開発の狙いは明確で、当時一世を風靡していたトヨタ マークII 3兄弟に真っ向から対抗することにありました。日産はセフィーロのメインターゲットを30代前半の比較的若い層に設定。当時の若者の間で絶大な人気を誇っていたS13型シルビアを彷彿とさせる、洗練されたスタイリッシュなフォルムを最大の魅力としました。バブル期の消費者の嗜好を捉え、単なる移動手段ではない、自己表現のツールとしての自動車の価値を追求したのです。

1988年デビューの日産セフィーロ、その特徴的なサイドプロファイル。S13シルビアを彷彿とさせる若々しいデザインが魅力だった。1988年デビューの日産セフィーロ、その特徴的なサイドプロファイル。S13シルビアを彷彿とさせる若々しいデザインが魅力だった。

覇権を握ったトヨタ マークII 3兄弟と日産の対抗策

セフィーロが投入される以前の1984年、日本がバブル景気で高揚感を増し始めた頃に、トヨタは「マークII」3兄弟(5代目マークII、3代目チェイサー、2代目クレスタ)を同時にモデルチェンジし、一大ブームを巻き起こしていました。この3兄弟は、わずか4年間で115万台という驚異的な販売台数を記録し、文字通り「ハイソカー旋風」を日本中に巻き起こしたのです。外見上の大きな違いはなかったものの、マークIIは落ち着いた高級セダン、チェイサーはスポーティな高級セダン、クレスタはスタイリッシュな高級パーソナルセダンという明確なキャラクター分けがなされ、多様な顧客層のニーズに応えていました。

1984年にモデルチェンジしたトヨタ マークII、チェイサー、クレスタの「マークII 3兄弟」。バブル期のハイソカー市場を牽引した主要ライバル。1984年にモデルチェンジしたトヨタ マークII、チェイサー、クレスタの「マークII 3兄弟」。バブル期のハイソカー市場を牽引した主要ライバル。

この強力なライバルに対抗するため、日産も戦略を練りました。セフィーロは、基本コンポーネントを共有しつつも年齢層が高めだった6代目(C33型)ローレルと、スポーティ路線ながら販売に伸び悩んでいたR32型スカイラインを補完する形でラインナップに加わりました。まさに日産版「3兄弟」として、それぞれのターゲット層を明確に分ける役割を担ったのです。セフィーロは、特に30代前半の「楽しさや美しさを重視するプレミアム志向の若者層」をメインターゲットとし、スタイリッシュなエクステリア、お洒落なインテリア、そしてゆとりのある走りという3つの要素を高次元でバランスさせることを開発コンセプトとしました。これにより、日産はハイソカー市場において独自の存在感を確立しようと試みました。

日産セフィーロの登場は、単なる新型車の発売に留まらず、バブル期の日本の自動車市場における激しい競争と、各メーカーの戦略的なポジショニングを象徴する出来事でした。トヨタのマークII 3兄弟が築き上げた牙城に、日産が若々しさとスタイリッシュさで挑んだセフィーロは、その後の日本のセダン市場にも大きな影響を与え、多くの人々の記憶に残る一台となりました。

参考文献:https://news.yahoo.co.jp/articles/7505e48e7379aea031ad5352a8ce3921a203e2d4