米資産運用会社フィッシャー・インベストメンツのケン・フィッシャー会長が先月下旬、交流サイト(SNS)で「ICEが押しかける瞬間、企業投資は氷(ice)になる!」と述べ、ウォール街の校長先生とも称される彼のこの発言は大きな波紋を呼んでいます。この発言は、米移民・関税執行局(ICE)の活動が企業投資を冷え込ませる可能性を指摘し、トランプ政権の強硬な移民政策が米国経済に与える影響について深く考察を促すものです。特に、労働現場への大規模な急襲が繰り返される中、その経済的帰結が注目されています。
労働現場へのICE急襲:トランプ政権の強硬な移民政策
米国メディアは、ICEによる労働現場急襲を「第2次トランプ政権発足後に起きた労働現場急襲の最新事例」と報じています。トランプ政権が掲げる「不法移民年間1000万人追放」という目標達成のため、ICEはカリフォルニア州、ユタ州、マサチューセッツ州など、複数の州で労働現場への取り締まりを強化してきました。今回の事態は連行者数において過去最大規模であり、その積極的な取り締まりは、米国の労働市場に深刻な影響を及ぼしつつあります。
重武装したICE要員が米国の労働現場で職務執行にあたる様子
矛盾する雇用統計:鈍化する新規雇用と記録的な低失業率
フィッシャー会長の診断は、5日に米労働省が公開した8月の雇用統計で裏付けられるかたちとなりました。新規雇用(非農業就業者)は前月比でわずか2万2000件の増加に留まり、ウォール街の専門家による予想値7万5000件を大きく下回りました。5月と6月も目標を下回る結果となり、7月だけが6000件多いという状況です。専門家は、人口増加を考慮すると月20万件程度の新規雇用創出がなければ失業率が急上昇するとみており、現在の低調な雇用傾向が続けば景気沈滞に陥る可能性も指摘しています。
しかし、奇妙なことに8月の失業率は歴代級に低い4.32%を維持し、さらに平均賃金は昨年8月より3.7%上昇しました。これは通常、景気好況期に見られる現象であり、現状の低調な雇用創出との間に大きな矛盾が生じています。
企業投資の「サボタージュ」:専門家の見解
この混乱した状況について、イェール大学のスティーブン・ローチ教授は「トランプ大統領の気まぐれにより関税率が踊り、これまでタブーとされてきたICEによる労働現場急襲が露骨に続けられている。そのせいで経営者が新規雇用創出のための投資を事実上中断し、現状維持だけしている」と説明しました。彼は、米国企業が投資を「サボタージュ」(怠業)していると診断しています。
この企業側の「サボタージュ」の結果、雇用創出は鈍化するものの、既存の従業員の解雇は増えず、賃金上昇率が高く維持されるという、通常では考えられない経済現象が起きています。ニューヨーク市立大学のポール・クルーグマン教授は、この状況をSNSのコラムで「奇妙なトランプモーメント」と指摘し、政策の不確実性が経済に与える特異な影響を強調しています。
FRBの苦悩と将来への懸念
ICEの積極的な取り締まりとそれによる企業投資の冷え込みは、米連邦準備制度理事会(FRB)を困惑させています。賃金が好況水準に上昇しているため米国人の支出は堅固で、それがインフレの沈静化を困難にしています。一方で、トランプ政権からの金利引き下げ圧力は非常に激しい状況です。16~17日に開催されるFRBの連邦公開市場委員会(FOMC)で、政策金利が0.25%ほど引き下げられるのが既定事実化していると見られています。
UBSのチーフエコノミストであるポール・ドノバン氏は、米企業が新規投資を最小限に抑え、政治情勢が変化するまで「潜伏」する期間が長引く可能性が大きいと予測しています。また、『The Federal Reserve: A New History』の著者ロバート・ヘッツェル氏は、FRBの通貨政策が1970年代のアーサー・バーンズ時代に戻る可能性を警告しました。バーンズ氏は1970~78年のFRB議長時代、ホワイトハウスの要求を過度に考慮した気まぐれな通貨政策を展開し、スタグフレーションを悪化させたことで知られています。現在のFRBは、インフレと政治的圧力の間で、極めて困難な舵取りを迫られています。
トランプ政権の強硬な移民政策、特にICEによる労働現場への急襲は、米国経済に予測不能な影響をもたらしています。新規雇用の鈍化と低失業率、そして賃金上昇という矛盾した雇用統計は、企業が投資を控える「サボタージュ」の表れと専門家は分析します。この状況はFRBの金融政策決定を複雑にし、インフレ抑制と景気刺激のバランスを一層困難にしています。今後のトランプ政権の動向とFRBの対応が、米国経済の未来を大きく左右するでしょう。