2025年10月13日、約半年間にわたり開催された大阪・関西万博は閉会式を迎え、その華やかな幕を下ろしました。会期中の一般来場者総数は2557万8986人を記録し、目標の2820万人には惜しくも届かなかったものの、国内で開催された万博としては1970年の大阪万博(6422万人)に次ぐ、歴代2位の集客数となりました。多くの来訪者が高い満足度を示し、惜しまれながら終焉を迎えたことは、「有終の美」を飾ったと言えるでしょう。
しかし、この成功の影には、開幕前から閉幕に至るまで、数多くの批判やトラブルが絶えませんでした。なぜ大阪・関西万博は、これほどの困難を乗り越え、最終的に成功を収めることができたのでしょうか。その裏側と課題を深掘りします。
大阪・関西万博公式キャラクター「ミャクミャク」の姿。開幕前は賛否両論あったが、会期終盤には多くの人に愛される存在となった。
批判と期待の中で迎えた万博の終幕
大阪・関西万博は、開催決定直後からその予算規模や経済効果に対する疑問が投げかけられ、開催そのものへの反対意見や批判が目立ちました。それでも、ふたを開けてみれば、最終的には多くの来場者を魅了し、高い顧客満足度を得ることに成功したのです。特に、万博公式キャラクター「ミャクミャク」は、当初「気持ち悪い」といった否定的な声も聞かれましたが、会期が進むにつれて人気を博し、愛される存在へと変貌を遂げました。目標来場者数には及ばなかったものの、国内万博史上2番目の集客力を示したことは、その影響力と潜在的な成功の証とも言えます。
開幕前から閉幕まで、トラブル続きの道のり
本万博の道のりは、まさにトラブルの連続でした。開幕前から閉幕に至るまで、様々な問題が発生し、そのたびに運営体制が問われました。
予算と経済効果への疑問、そして開催反対の声
万博開催の初期段階から、莫大な公費投入に対する懸念や、期待される経済効果が本当に実現されるのかという疑問が、国民の間で広く議論されました。これにより、開催自体に反対する強い声が上がっていたことは、万博の準備期間を通じて常に重くのしかかる要因でした。
大手広告会社の不在が招いた運営の混乱
2023年に入ると、東京オリンピック・パラリンピックを巡る談合事件を受け、万博の開催主体である大阪府は、電通や博報堂といった大手広告会社の新規業務入札参加資格を停止する決定を下しました。筆者自身もかつてイベントの企画・運営に携わった経験から言えることですが、イベント運営の仕事は、外から見える華やかさとは裏腹に、トラブル対応や利害関係者間の調整といった“泥臭い仕事”が大部分を占めます。大手広告会社は、こうした専門性と経験を持つイベント運営のプロであり、彼らの不在は想像以上に大きな影響を及ぼしました。実際、パビリオンの設営遅延や建設費の未払いといった具体的なトラブルに繋がり、運営面での混乱を招きました。
会場内外で発生した予期せぬ事態と運営課題
会場内外では、多岐にわたる運営上の課題が指摘されました。会期中の猛暑や雨天時における来場者への対応不足、会場周辺の混雑や交通アクセスの問題は、特に大きな不満の声が上がった点です。さらに、会場内でメタンガスが検知されたり、ユスリカ(ハエの仲間)が大量発生したりといった予期せぬ事態も発生し、来場者の安全や快適性に対する懸念が広がりました。これらの事態は、開催期間中の運営チームにとって、常に緊急の対応を迫られる課題となりました。
複雑化するチケットシステムと不正アクセス問題
チケット販売においても、来場予約の煩雑さが批判の対象となりました。特に、「死に券」と呼ばれる、チケットを購入したものの会場への来場予約ができない問題は、多くの購入者を困惑させました。また、サイトへの不正アクセスによる第三者へのチケット譲渡問題も発生し、セキュリティと公平性に対する疑問が浮上しました。これらのチケットを巡る問題は、万博への期待感を損なう一因ともなりました。
まとめ
大阪・関西万博は、開幕前の強い批判、大手広告会社の不在による建設・運営の混乱、交通問題、予期せぬ自然現象、そして複雑なチケットシステムに至るまで、数多くの課題に直面しながらも閉幕を迎えました。しかし、蓋を開けてみれば、目標には及ばなかったものの、国内万博史上2位の集客を達成し、高い来場者満足度を得て「有終の美」を飾ることができたと言えるでしょう。この経験は、将来の国際的な大規模イベントを企画・運営する上で、多くの貴重な教訓を残しました。
[Source link ](https://news.yahoo.co.jp/articles/cf03ef02fce541cdea78e07e9741600111e989a9)