「お召し列車」が映し出す皇室の変遷:権威から象徴への軌跡

今夏、天皇皇后両陛下をはじめとする皇族が利用される「お召し列車」が、実に6年ぶりに運行されました。この特別な列車は、単なる移動手段に留まらず、その歴史を紐解くことで、時代と共に変化してきた日本の皇室の姿、そして国民との関係性が鮮やかに浮かび上がります。明治期にその運行が始まって以来、「お召し列車」は天皇の権威の象徴から、やがて国民に開かれた象徴としての役割へと、その意義を変えてきました。本記事では、最新の運行状況からその豪華な仕様、そして激動の日本史と共に歩んだ「お召し列車」の変遷を深く掘り下げていきます。

令和初の「お召し列車」運行とE655系「なごみ」の魅力

2023年8月1日夕方、JR東京駅の9番ホームに、特別なオーラを放つ5両編成の列車が静かに停車しました。この日、天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、静岡県下田市にある須崎御用邸での静養のため、東京駅から伊豆急下田駅へと列車で移動。その際に使用されたのが、JR東日本のE655系、通称「なごみ(和)」です。

「なごみ」は、令和になって2度目の、そして2019年9月以来約6年ぶりとなる「お召し列車」の運行でした。この歴史的な瞬間に立ち会おうと、ホームには多くの鉄道ファン、特に「撮り鉄」と呼ばれる人々が殺到し、その豪華な姿に歓声を上げ、一斉にカメラを向けました。

2019年9月29日、皇室の象徴である菊の御紋が施されたお召し列車に乗車される天皇皇后両陛下。この特別な列車の運行は、常に国民の注目を集めます。2019年9月29日、皇室の象徴である菊の御紋が施されたお召し列車に乗車される天皇皇后両陛下。この特別な列車の運行は、常に国民の注目を集めます。

磨き上げられた車体は、日本古来の漆塗りの技法を彷彿とさせる、光の反射具合で色合いが変化する「マジョーラ塗装」が施されたこげ茶色。その外観は圧倒的な存在感を放ちます。車内はさらに豪華で、床にはふかふかのカーペット、内装は温かみのある木目調で統一されています。タッチパネル式のモニターが備えられたシートは電動リクライニング機能を持ち、最高の快適性が追求された「走る宮殿」と呼ぶにふさわしい空間が広がっています。

明治初期から始まった「走る宮殿」:天皇の権威の象徴

「お召し列車」の歴史は、日本の鉄道開業と同時に幕を開けました。1872年(明治5年)10月14日、新橋~横浜間を結んだ日本初の鉄道に、明治天皇が英国から輸入された車両に乗車されたのがその始まりとされています。当初は「御進行列車」や「御乗列車」と呼ばれ、1890年(明治23年)から現在の「お召し列車」という名称が使われるようになりました。

初期の「お召し列車」は「1号編成」と称され、天皇皇后両陛下が乗車される「御料車」と、供奉車(ぐぶしゃ)4両の計5両で編成されていました。特に御料車は、天井や廊下を含む内装が総絹張りという贅を凝らしたもので、当時の最高レベルの車両技術が惜しみなく投入され、まさに「走る宮殿」と形容されました。『天皇陛下と鉄道』などの著書がある日本地方新聞協会皇室担当写真記者の工藤直通氏は、「お召し列車は天皇の権威づけの意味合いが大きかった」と語っています。鉄道以前に天皇が移動に使っていた「輿(こし)」に代わる乗り物として鉄道が登場すると、天皇の厳格な地位をより際立たせるため、豪華な装備が施されていったと考えられています。

昭和初期までは、「お召し列車」が通過する際、沿線の人々に「奉迎」が義務づけられていました。特に戦前には、駅員らが直立不動の姿勢で最敬礼をもって列車を見送るなど、細かな指示が徹底されていたといいます。また、工藤氏は「江戸時代まで分単位で動く生活をしていなかった日本人に対し、『何時何分までに駅に集合するように』と、時間の意識を国民に植え付けたのも、お召し列車が担った役割の一つではないか」と指摘しています。

昭和天皇は「乗り鉄」:移動手段から趣味へ

工藤氏によれば、最も「お召し列車」を利用されたのは昭和天皇だったとされています。昭和天皇は「お召し列車の旅」を大変好まれ、国内への行幸には必ずと言っていいほど「お召し列車」をご利用になっていました。1954年から天皇の航空機利用が始まった後も、飛行機の方が早く到着する場所へも鉄道を利用されることがありました。例えば、1963年5月に昭和天皇が香淳皇后と共に東北地方を訪問された際、復路は三沢空港から飛行機で帰京されましたが、往路は東京から「お召し列車」を利用して青森県内を巡られています。

昭和天皇は、飛行機というより速い移動手段が登場した後も、「お召し列車」での旅を楽しまれ、ゆっくりと車窓の風景を眺めることを心待ちにされていたようです。工藤氏は、「ひらたく言えば、昭和天皇は『乗り鉄』だったと思われます」と、その鉄道愛を表現しています。

平成から令和へ:特別扱いから「象徴」としての役割へ

しかし、元号が平成になると、「お召し列車」の利用方法は大きく変化します。現在の工藤氏によれば、今の上皇さまが天皇として即位された際、「特別扱いを好まれない」との意向を示されたため、「お召し列車」の使用を一度中止されました。その代わりに、新幹線や在来線の特急列車での移動が主流となっていきました。

平成に入って初めて「お召し列車」が運行されたのは1996年(平成8年)のことです。乗り物好きで知られた当時のベルギー国王が来日された際、天皇陛下(現上皇さま)と美智子皇后(現上皇后さま)が国王一家を栃木県足利市へ案内するために、JR両毛線の小山~足利間を「お召し列車」で移動しました。この時、沿線には鉄道ファンだけでなく、地元の人々も大勢詰めかけました。宮内庁はこの反響を受けて、「お召し列車」を積極的に運行していく方針に転換します。

以降、ルクセンブルクの大公夫妻(1999年)やノルウェーの国王夫妻(2001年)など、国賓をもてなす際の移動手段として「お召し列車」が再び使われるようになりました。その後、旧来の御料車の老朽化(最後の製造は1960年)が指摘され、2007年にはJR東日本が威信をかけてE655系を製造しました。その製造コストは「公表を差し控えさせていただきたい」とのことです。この新型車両の登場により、私的な旅行や御用邸での静養時にも「お召し列車」が利用されるようになりました。

そして令和の時代。「お召し列車」の役割は、さらに変化しています。工藤氏は「権威から象徴へと変わった」と述べています。現在では、全国植樹祭などの国の行事に臨まれる際に、先頭車両に菊の御紋と国旗が掲げられ、国の象徴としての品位とその役割を保つための乗り物となっています。明治から令和へと、その車輪が刻んできた軌跡は、日本の近現代史そのものであり、皇室のあり方を映し出す貴重な鏡と言えるでしょう。

参考文献