日本を代表するロックバンド「RCサクセション」が1970年にデビューしてから、今年で記念すべき55周年を迎えました。2009年に惜しまれつつもこの世を去った忌野清志郎は、その唯一無二の存在感と音楽性で、いまもなお多くのアーティストやファンに計り知れない影響を与え続けています。この節目の年に、名盤『シングル・マン』(1976年)のデラックスエディションのリリースやテレビ特番の放送、記念ポップアップストアのオープンなど、様々な企画が展開され、再び彼の魅力に光が当てられています。その中でも特に注目を集めているのが、今年6月に発売された高橋康浩氏によるエッセイ『忌野清志郎さん』(ele-king books)です。
高橋康浩氏が明かす、宣伝マン時代の貴重なエピソード
高橋康浩氏は、1980年代後半から東芝EMIの名物宣伝マンとして、RCサクセションや忌野清志郎の担当を務めていました。清志郎を彷彿とさせるメイクと派手な衣装をまとい、その仕事ぶりは業界でも有名でした。この本は、高橋氏が当時関わった数々の出来事、特にRCサクセションの問題作とされたアルバム『カバーズ』の発売や、覆面バンド「ザ・タイマーズ」による「FM東京事件」などの舞台裏を描いています。これまで明かされることのなかった清志郎の貴重なエピソードが多数収録されており、彼の人間性やアーティストとしての信念を深く掘り下げています。この書籍は、清志郎のファンはもちろん、日本の音楽史に興味を持つ人々にとっても必読の一冊となるでしょう。
清志郎さんの「予定調和が好きじゃなかったんです」:担当者が語るその素顔
高橋氏は、宣伝部においてアーティスト担当と媒体担当を兼務し、RCサクセションや忌野清志郎関連、さらに再結成したサディスティックミカバンドや高野寛などのプロモーションを全て仕切っていました。彼は新作がリリースされる度に、取材対応から資料制作、放送局や雑誌編集部への営業活動まで、多岐にわたる業務をこなしました。当時の音楽業界全体が活況を呈していたこともあり、東芝EMIの邦楽アーティストの月間リリース数は膨大で、高橋氏は「365日、寝ている暇はほとんどなかった」と語っています。
忌野清志郎がマイクを握り、情熱的に歌い上げるライブパフォーマンスの瞬間
インタビューの中で、高橋氏は「清志郎さんは予定調和が好きじゃなかったんです」と印象的な言葉を述べています。これは、彼の音楽性やパフォーマンスだけでなく、日々の言動にも表れていた忌野清志郎の本質を突くものでしょう。常に既成概念を打ち破り、自身の信念を貫いた清志郎の姿は、高橋氏の個性的な宣伝スタイルにも影響を与えたのかもしれません。
55周年を機に再認識される、忌野清志郎の普遍的なメッセージ
忌野清志郎のデビュー55周年は、単なる過去の栄光を祝うものではありません。彼の残した音楽やメッセージが、時代を超えて現代に生きる私たちにも強く響き続けていることを再認識する機会となるでしょう。『忌野清志郎さん』は、稀代のロックンローラーの知られざる側面を、最も近くで支えた人物の視点から描くことで、彼のアーティストとしての深みと人間的魅力にあらためて触れることができます。この記念すべき年に、高橋氏の温かい眼差しで綴られたエピソードの数々を通じて、忌野清志郎という唯一無二の存在に改めて向き合ってみてはいかがでしょうか。
参考文献
- 高橋康浩 著 (2025). 『忌野清志郎さん』ele-king books.
- Yahoo!ニュース (2025年11月9日). 「忌野清志郎デビュー55周年、元宣伝担当が秘話明かす!「予定調和が好きじゃなかったんです」」.





