福田萌、中田敦彦とシンガポール移住生活:ヘルパーとの共生、父への思い

ABEMAオリジナルのバラエティ番組『ダマってられない女たち season2』の#14が12月5日(金)に放送され、4年前に夫・中田敦彦(オリエンタルラジオ)と共にシンガポールへ移住した福田萌に密着した内容が紹介されました。彼女の海外での暮らしぶり、中田との馴れ初め、そして亡き父への深い思いが明かされ、その強さと前向きな姿勢が注目を集めています。

シンガポールでの新たな生活と多忙な日々

2012年にオリエンタルラジオの中田敦彦さんと結婚した福田萌さんは、現在、12歳の長女、8歳の長男、1歳11か月の次男と共にシンガポールで生活しています。3か月前からは住み込みのヘルパーを迎え、6人での共同生活を送っているといいます。女性の社会進出が進むシンガポールでは、家事や育児を支えるためにヘルパーを雇う文化が浸透しており、福田さんも当初は抵抗があったものの、今では「めちゃくちゃ助かっている」「私を肯定してくれる存在」と語り、その恩恵を実感しています。

ヘルパーの存在により時間に余裕が生まれた福田さんは、チェロのレッスンや中国語の勉強、さらには資格取得など、自身の興味やキャリアアップにも積極的に取り組んでいます。これにより、仕事とプライベートのバランスを保ちながら、充実した日々を送ることができているようです。

夫・中田敦彦とのユニークな関係性

夫の中田敦彦さんは、自宅ではYouTube撮影に没頭し、「自分の部屋からほぼ出てこない」と福田さんは笑います。しかし、彼女は夫を咎めることなく、「引きこもりの男子高校生と住んでるような(笑)」とユーモラスに表現し、その自由な関係性を楽しんでいる様子が伺えます。

二人の出会いは、番組共演後のSNSでのやり取りがきっかけでした。当初、中田さんを「チャラ男かもしれない」と警戒していた福田さんですが、初デートでの印象は一変したと言います。デートで中田さんが渡したロケのお土産は、同じ種類のボールペン10本と、同じ形のメモ帳10冊。これを見た福田さんは「多分この人めっちゃモテないだろうな」と感じたそうです。

転機となったのは、福田さんが大好きなディズニーでの“サプライズ”告白。閉園後、リムジンの中で「付き合ってください」と告白された福田さんは、「すごい純粋な人かもしれない」と感じ、交際を承諾。交際半年で結婚に至るというスピード展開でした。

福田萌さんが夫・中田敦彦さんへの“不満”や亡き父への思いを語る福田萌さんが夫・中田敦彦さんへの“不満”や亡き父への思いを語る

海外移住もまた、中田さんの「シンガポールに行きたい」という一言がきっかけでした。リー・クアンユー氏が作った街を見てみたいという夫の願いに対し、福田さんは「ここで嫌って言ったら二度と海外住もうなんて言い出さないと思う」と、その決断を受け入れたと明かしています。

夫婦喧嘩はほとんどないという二人ですが、福田さんは中田さんが「集中しすぎると、たまに家族を忘れてる時がある」と苦笑い。連絡もなく、お土産も買ってこなかった中田さんに対し、「家族のこと一回も考えてないの?」と怒った経験もあると語りました。しかし、スタッフからの「旦那さんに振り回されてる感じありませんか?」という問いには、「私はジェットコースターみたいなのが好きだから」と笑顔で答え、予測不能な日々も楽しんでいるというポジティブな姿勢を見せました。

亡き父が教えてくれた「人生は短い」という価値観

福田さんの強さの根源には、亡き父の存在があります。中学受験を控えていた頃、父が若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。海外留学を考えていた福田さんは、「帰ってきた時には私のことを忘れているかもしれない」という葛藤を抱えながらも、家族の支えで留学を決断。その後、長い闘病の末、福田さんが23歳の時に父は他界しました。

父の死を経験したことで「人の一生って短い」と痛感した福田さんは、「人生短いんだからやったもん勝ち」という価値観を持つようになりました。この考え方が、彼女が新たな挑戦に積極的に取り組む原動力となっているようです。

「どこに行っても私は咲く」タンポポのような強さ

番組の後半で、自身を花に例えるなら「たんぽぽ」と語った福田萌さん。「“どこに行っても私は咲くんだ”みたいな生き方が好き」と話すその姿からは、困難に直面しても adaptable(適応力がある)で、前向きに生きる凜とした強さが感じられます。シンガポールでの新しい生活、家族との絆、そして亡き父から受け継いだ人生観が、彼女の魅力と輝きの源となっていることは間違いありません。