都会に潜む「廃線跡」の魅力:歴史を辿るミステリー探訪

都市の喧騒の中にひっそりと息づく「廃線跡」は、かつての鉄道が辿った歴史を物語る貴重な痕跡です。これらを辿る旅は、まるで過去の謎を解き明かすミステリーのようであり、単なるノスタルジーに留まらない深い魅力があります。全国の廃線跡を精力的に探索し、ウェブサイト『廃線の旅 鉄路の旅』を運営する石川雅洋氏は、その著書『都会の鉄道廃線跡 探究読本』(河出書房新社)で、都市部に残された鉄道遺構の奥深さを紹介しています。

都会に残る鉄道遺構の面白さ

地方の廃線跡がやがて自然に還っていくのに対し、都会の廃線跡は都市開発や物流の変化、鉄道の地下化といった目まぐるしい変化の中で、思いがけない形でその痕跡を残しています。例えば、何気ない道や遊歩道、あるいは不自然な高低差として現れるそれらの痕跡を見つけることは、まさに「ミステリーの謎解き」に似た楽しさがあります。新宿ゴールデン街へ向かう人々にはお馴染みの、都電13系統の廃線跡を遊歩道として整備した「四季の路」なども、都会に溶け込んだ廃線跡の好例と言えるでしょう。実際にその場所を訪れて歩き、地域の人々と交流することで、その町の歴史や文化が浮かび上がってくるのが、都会の廃線跡が持つ独特の面白さなのです。

新宿ゴールデン街近くの「四季の路」として整備された都電13系統の廃線跡新宿ゴールデン街近くの「四季の路」として整備された都電13系統の廃線跡

練馬・板橋の「幻の廃線」東武啓志線

石川氏が特に印象に残っている廃線跡の一つが、東京都練馬区と板橋区にまたがる「東武啓志線」です。現在、広大な光が丘公園となっているこの地は、かつて成増飛行場が存在し、戦後にGHQに接収され米兵家族用の宿舎「グラントハイツ」が建設されました。東武啓志線は、そのグラントハイツへの物資輸送のために、東武東上線上板橋駅から分岐してグラントハイツ駅(旧啓志駅)まで敷設された路線で、1959年(昭和34年)に廃止されました。

地元では「幻の廃線」と称されるほど、現在ではその痕跡を見つけるのが困難な場所が多い中、石川氏は地図を頼りに探索する中で、鉄道用地を示す境界石を発見し、大きな喜びを感じたと言います。この境界石は、書籍やインターネットでも情報がなかった貴重な痕跡でした。現在、練馬駐屯地内の資料館や東武練馬駅近くの北町地区区民館では、東武啓志線のレールなどが展示されており、かつての歴史を偲ぶことができます。

池袋からグラントハイツ駅まで運行されていた米軍専用列車の様子池袋からグラントハイツ駅まで運行されていた米軍専用列車の様子

終わりなき探索の魅力

都市部に残された鉄道の廃線跡は、ただの過去の遺物ではありません。それは、都市の変遷、人々の暮らし、そして地域の文化が織りなす物語を読み解く鍵となります。石川氏が語るように、それぞれの廃線跡には異なる歴史があり、その痕跡を辿ることは、まるで終わりのない歴史探訪であり、新たな発見に満ちた旅なのです。身近な場所に隠された廃線の足跡を辿ることで、普段見慣れた町の知られざる一面を発見し、その地域の深い歴史と文化に触れることができるでしょう。

参考文献: