3億円事件:時効50年、松本清張が提唱した「もう一つの真犯人説」を徹底解明

1968年に発生し、現金輸送車から約3億円が白バイ警官に扮した人物によって強奪された「3億円事件」。犯人が特定されぬまま公訴時効が成立し、未解決事件となってから今年で50年を迎えます。昭和を代表する作家である松本清張は、この世紀の事件を題材にした短編『小説 3億円事件』の中で、独自の視点から事件の真相に迫ろうと試みていました。担当刑事の見解とは異なる、清張が唱えた“新たな犯人像”とは一体どのようなものだったのでしょうか。本稿では、『昭和未解決事件 松本清張の推理と真犯人X』(宝島社)からの抜粋を元に、その詳細を掘り下げます。

松本清張が注目した「事件直後の自殺」

松本清張は、事件の発生と経過を説明する中で、一つの状況に注目しました。それは、事件発生から約1週間後の1968年12月17日早朝、三鷹市で22歳の若者が青酸カリを飲んで自殺したことです。清張の作品では、この青年が姉夫婦と共に三鷹市内のアパートに同居していたと描かれています。彼の義兄は警備会社に勤務しており、その社長は元警察官僚で公安方面の幹部であったという設定でした。この22歳の若者、「浜野健次」こそが、3億円事件の真犯人ではないかと長らく囁かれてきた人物とされています。

発表された3億円事件の犯人モンタージュ写真。信頼性に疑問が呈され、1974年12月に正式に破棄されたもの発表された3億円事件の犯人モンタージュ写真。信頼性に疑問が呈され、1974年12月に正式に破棄されたもの

「浜野健次」の真相:19歳の少年と白バイ隊員の父

しかし、実際の捜査で判明した事実と、清張が作品で描いた内容にはいくつかの相違点があります。現実の「浜野」とされる人物は、当時19歳の少年でした。彼の自宅は国分寺市にあり、姉夫婦ではなく両親と同居していました。また、自殺したのは12月15日深夜であり、最も注目すべきは、彼の父親が現職の白バイ隊員であったという事実です。

清張がこうした事実関係を意図的に変更したのは、生存している関係者への配慮や、訴訟リスクを考慮してのことだったと考えられます。実際の捜査においては、単独犯説を唱えた平塚八兵衛刑事がこの19歳の少年を早い段階で「シロ」(無関係)と判断したため、不良少年グループの一員であったとされる少年の周囲に捜査が深く及ばなかったとも言われています。

結論

松本清張が提起した「自殺した少年犯人説」は、3億円事件の複雑な真相に新たな光を当てようとする試みでした。作品中での事実は一部脚色されているものの、その根底には、事件直後に起きた不可解な自殺と、その背景にある可能性を探ろうとする清張の鋭い洞察がありました。公訴時効を迎え、未解決事件として歴史に刻まれた3億円事件ですが、松本清張の推理は、今なお多くの人々に事件の真犯人について深く考えさせるきっかけを与え続けています。