3度の結婚と離婚を経験し、50歳を迎えた元プロスキーボーダーの内田智子さんが、その壮絶な結婚生活を振り返ります。流産、不倫、DVといった数々の困難を乗り越え、明るく語る彼女の人生は、多くの人々にとって共感を呼び、示唆に富むものです。本記事では、内田さんのこれまでの結婚ストーリーから、人生における選択と困難への向き合い方を深掘りします。
“神様のような人”との最初の結婚と流産という悲劇
内田智子さんの最初の結婚は27歳の時でした。当時、プロスキーボーダーとして活躍していた内田さんが選んだのは、同じくプロとして活動していた2歳年上の男性でした。彼を「器が大きく、本当に優しい、神様みたいな人」と内田さんは振り返ります。養子として育った経験から「血のつながった子どもを早く抱きしめたい」という強い願いを抱いていた内田さんは、穏やかな彼となら温かい家庭が築けるかもしれないと、交際から1年で結婚を決意しました。
愛知県で始まった新婚生活は、まもなく待望の赤ちゃんの授かりで喜びの絶頂を迎えました。しかし、妊娠中期での流産という悲劇が二人を襲います。「胎児の心臓が止まっている」という医師の言葉に、内田さんは大きなショックを受け、パニックに陥りました。心身ともに限界を迎えた内田さんは、千葉の実家に戻り、約1年間の療養生活を送ることになります。この間も夫は内田さんを責めることなく、「焦らなくていいよ」と頻繁に連絡を取り、支え続けました。しかし、その最中に夫に「結婚を前提に交際したい」という女性が現れます。夫からの問いかけに対し、心身の傷が深く結婚生活自体に自信を失っていた内田さんは、「もう戻れません。そちらに進んでください」と静かに答えました。こうして3年間の結婚生活は幕を閉じ、内田さんは30歳で最初の離婚を経験することになりました。
明るく語るバツ3の元プロスキーボーダー内田智子さん
タワマンとアメ車、華やかな“パワーカップル”ライフの終焉
2度目の結婚は33歳の時でした。お相手は、スキーボードの大会やイベントで顔馴染みだった1歳年上の来場客。生まれも育ちも東京の真ん中という「超都会っ子」で、一部上場企業の社員、真面目で紳士的、コミュニケーション能力も高く、イケメンで優しいという彼に、内田さんは自然と惹かれていきました。出会いから5年を経て交際に発展し、その1年後には結婚。二人は北関東の中核都市に移り住み、駅前のタワーマンションに住み、アメ車とRV車を所有するという、まさに“パワーカップル”のような新婚生活がスタートしました。
内田さん自身も地元のラジオ局のアナウンサーへと転身し、「生放送終わりにバーで一杯ひっかけてタワマンへ帰る」という華やかな日々を送っていました。しかし、この順風満帆に見えた生活は、わずか7年で終わりを迎えます。原因は夫の“気の多さ”でした。仕事柄、県内に知人が多いこともあり、夫の“浮気情報”が電話やメールで内田さんのスマートフォンに頻繁に届くようになりました。多い時には1日数件もの情報が寄せられたといいます。さらに決定打となったのは、夫の財布に入れっぱなしにされていた、地元で有名なデートスポットの半券でした。
それでも結婚5年目、37歳の時に待望の長男が誕生。「目に入れても痛くない天使みたいな存在」である息子のために、一度は夫の浮気を見過ごしました。しかし、その後も“浮気情報”は途切れることなく寄せられ、ついに内田さんは限界を迎えます。結婚8年目、40歳で2度目の離婚を決断しました。
結びに
内田智子さんの波乱に満ちた結婚と離婚の経験は、人生における予期せぬ困難や、人間関係の複雑さを浮き彫りにします。流産、不倫、そしてDVの可能性という重いテーマに直面しながらも、内田さんは常に前向きな姿勢を崩さず、自身の経験を語っています。彼女の物語は、困難な状況に置かれた人々に対し、希望と共感を与えるだけでなく、自身の人生を主体的に生き抜くことの重要性を教えてくれます。





