北島三郎の教えが拓く道:愛弟子たちと「人生を変えるひと言」

日本歌謡界における揺るぎない巨星、北島三郎(89)は、その圧倒的な存在感と数々の名曲で多くの人々に感動を与え続けています。長年にわたり夕刊紙・日刊ゲンダイでインタビュー記事を執筆してきたコラムニストの峯田淳氏が、有名人たちの“心の支え”となった言葉や運命を変えた出会いを振り返る連載「人生を変えた『あの人』のひと言」の第48回で、北島三郎とその「北島ファミリー」にスポットを当てています。この記事では、御大本人の言葉に加え、ファミリーが熱く語った秘話から、その偉大な足跡と受け継がれる教えに迫ります。

歌謡界の巨星としての揺るぎない存在

歌謡界のトップを問われれば、誰もが迷わず北島三郎の名を挙げるでしょう。その存在感はまさに揺るぎないものです。峯田氏は、JRA協賛の取材を通じて8年前に北島本人へのインタビューを実現。それ以前から「北島ファミリー」の歌手たちに話を聞く機会が多かったこともあり、本記事では北島自身の言葉とファミリーからの証言が紹介されています。

演歌界のレジェンド、北島三郎の肖像演歌界のレジェンド、北島三郎の肖像

「北島ファミリー」:固い絆と受け継がれる教え

「北島ファミリー」と称される門下生たちは、もんたよしのりさん、大橋純子さん(ともに23年没)に始まり、山本譲二(75)、松原のぶえ(64)、原田悠里(71)、小金沢昇司さん(24年没)、和田青児(56)、山口ひろみ(50)、北山たけし(51)、大江裕(36)と、その顔ぶれは多彩です。2023年には北島音楽事務所に所属していた原田、山口、北山、大江の4人が独り立ちしましたが、事務所を離れた今もなお、ファミリーの結束は固く、師への敬愛の念は変わることがありません。

山本譲二が語る「小便くさいところでも歌ってこい」

北島ファミリーの中でも特に師への深い敬意を示すのが山本譲二です。彼は北島のかばん持ちや付き人としての下積み生活を経て、30歳でリリースした「みちのくひとり旅」(1980年)が大ヒットし、スターの仲間入りを果たしました。北島は山本を著書『ひとりの二人』(海竜社刊)の中で「7年目に咲いた遅咲きの花」と称しています。

その山本に、北島はかつてこう言いました。「たとえ小便くさいところでも、どこでも、人が一人でもいたら歌ってこい」と。高校球児として見栄やプライドもあったはずの山本は、この言葉を胸に、空港のロビーや新幹線の中など、場所を選ばずに歌い続けました。北島は、〈山本があの甲子園で、九回ウラ、二死から打席に立ち、見事、ヒットを打ったと同じように、運の強さと、身につけた力を見せつけてくれた〉(前掲書)と、彼の努力と才能を高く評価しています。

師への畏敬を示すエピソード

山本が師への畏敬を象徴するエピソードは、インタビュー連載「涙と笑いの酒人生」でも語られました。前川清の自宅で飲んだ際、すでにシャワートイレが設置されていたにもかかわらず、使い方がわからず粗相をしてしまったというのです。実は北島の自宅もシャワートイレでしたが、山本は招かれて飲んでいる時に、恐れ多くてトイレを借りることなどできないと、いつも立ちションで済ませていたと明かしています。この話は、山本がどれほど師を敬い、その前では恐縮していたかを示す、忘れられないエピソードと言えるでしょう。

北島三郎が愛弟子たちに授けた「人生を変えるひと言」は、彼らの道を切り開き、今日の成功へと導く大きな支えとなりました。歌謡界のレジェンドとしての北島の教えと、それを忠実に守り、固い絆で結ばれた北島ファミリーの物語は、多くの人々に勇気と感動を与え続けています。