死刑囚を弁護する弁護士の真実:上田美由紀元死刑囚の素顔と高橋弁護士の信念

内閣府の世論調査によると、日本国民の8割以上が死刑制度を容認しているとされます。インターネット上では、凶悪犯に対して「早く死刑にしろ」といった過激な意見が飛び交うことも少なくありません。このような状況の中で、重大な殺人事件を担当した弁護士たちは、一体どのような思いで被告人と向き合い、なぜ死刑判決を回避するために尽力するのでしょうか。本稿では、連載企画「死刑囚の弁護士たち~なぜ“殺人犯”を守るのか~」の第1回として、2009年の鳥取連続不審死事件を担当した高橋俊彦弁護士(55)の証言に焦点を当てます。高橋弁護士は、「完全なる善人も完全なる悪人もいない」という信念のもと、被告人の素顔を振り返り、「彼女は死刑判決を受けるべき人間ではなかった」「刑務所から出してあげたかった」と語っています。

メディアのイメージと異なる被告人の実像

高橋弁護士が、強盗殺人などの罪に問われた元スナック従業員、上田美由紀元死刑囚(逮捕当時35)と初めて接見した際の印象は、「彼女を一目見た時、想像以上に小さなその体に驚きました」というものでした。メディアは、身長約150センチ、体重70キロ超の「肥満のホステス」の周囲で6人の男性が死亡したというセンセーショナルな見出しで鳥取連続不審死事件を報じました。しかし、高橋弁護士は当初から、報道されている印象と現実との間に大きなギャップを感じていたといいます。

「報道で出回っていた逮捕前の写真からは想像もつかないほど痩せていました。長い刑務所生活の中で憔悴し、やつれていたというのが実態かもしれません。」と高橋弁護士は語ります。

2004年から2009年にかけ、上田元死刑囚と交際するなど関係を持っていた男性たちが次々と謎の死を遂げました。捜査の結果、上田元死刑囚は2件の強盗殺人の罪に問われることになります。その他の死亡事件は、自殺2件、事故死1件、病死1件とされました。上田元死刑囚は一貫して2件の強盗殺人への関与を否定しましたが、鳥取地裁、広島高裁はともに死刑判決を下しました。

上田美由紀元死刑囚の肖像写真上田美由紀元死刑囚の肖像写真

「普通の田舎のおばちゃん」としての側面

最高裁への上告審で国選弁護人となった高橋弁護士は、上田元死刑囚と対面し、報道されていた姿とはかけ離れた印象を受けました。その外見だけでなく、振る舞いや言動も、とても人を殺めた人物のものとは思えなかったといいます。高橋弁護士の目の前にいた上田元死刑囚は、いわば「普通の田舎のおばちゃん」そのものだったのです。

例えば、ある日の接見では、次のようなやりとりがあったと振り返ります。
「先生、そろそろ彼女できたん?」
「いやーまだできてないね」
「先生ちょっと太ったからね、もうちょっと痩せにゃいけんよ」

メディアは競って、上田元死刑囚を「卑劣なホステス」として書き立てました。男性たちを手練手管で誘惑し、心の隙に入り込み、金をむしり取り、用済みになれば捨てる、といったイメージです。しかし、上田元死刑囚は高橋弁護士に、「事実と違うことが報道されている。私はそんな人間じゃない」とこぼしていたといいます。

高橋弁護士はさらに、「自分の周囲で亡くなった6人のうちの何人かについては、『生きていてほしかった』と涙を流しながら悼んでいました。男をもてあそぶ恐ろしい女、という世間のイメージとはかけ離れた姿でした」と付け加えます。

上田元死刑囚には、実の子どもたちを案じる母親としての顔もありました。首都圏連続不審死事件を起こし、「平成の毒婦」として日本中の注目を集めた木嶋佳苗死刑囚(逮捕当時34)は、2014年1月、自身のブログに「彼女(上田死刑囚)と比較されるのは大いに結構。もとより望む所です」と投稿しました。「東の木嶋佳苗、西の上田美由紀」と並べ立てる報道が過熱する中、挑発ともとれる木嶋死刑囚の発信は世間を騒がせました。しかし、上田元死刑囚の反応は「いい迷惑」というものだったと高橋弁護士は振り返ります。

「5児の母である上田さんは、過激な報道によって自分の子どもたちが刺激を受けないか心配していました。なるべく人々から注目されたくないというのが彼女のスタンスです。雑誌に『松江刑務所より…』と題した連載原稿を寄せていた時期もありますが、社会に何かを訴えるためというよりは、子どもに文通用のレターセットなどを買ってあげるために原稿料がほしかったようです。」

このような高橋弁護士の証言からは、メディアが作り上げた凶悪犯のイメージとは異なる、人間としての葛藤や素顔が見えてきます。死刑制度の是非を問う議論の裏側で、弁護士たちが直面する現実と、彼らが守ろうとする「人間性」について深く考えさせられる事例です。