「両岸一家親」——このスローガンは、中国本土と台湾が家族のように親しい関係にあることを示唆しています。特に、台湾本島から約200km離れながらも、中国本土とはわずか2kmしか離れていない金門島では、この言葉が持つ意味はより深く、そして複雑な現実を映し出しています。厦門の高層ビル群が目前に広がるこの島では、「中国人」というアイデンティティを持つ住民も少なくなく、平和的な統一を望む声も聞かれます。
「両岸一家親」の現実:地理的近接性と経済的依存
金門島の地理的位置は、その独特な政治的・経済的立場を形成しています。台湾本島と中国本土の間で、金門島は文字通り「ほぼ中国」と表現されるほどの近さにあります。島の経済やインフラは中国本土への依存度が高く、多くの観光客も中国本土から訪れます。また、金門島の住民が買い物に厦門へフェリーで向かうことも日常的です。さらに、水道水さえも中国からのパイプラインを通じて供給されており、このような背景から、島民の中には「金門人」あるいは「中国人」としてのアイデンティティを持つ人々が多く存在します。
厦門のビル群を望む金門島の景色、中国人としてのアイデンティティを持つ住民
過去の傷跡:砲撃の時代と台湾からの隔絶
金門島は、その歴史において壮絶な経験をしました。1949年に蒋介石率いる国民党政府が台湾へ撤退した後、金門島は中国からの攻撃の第一目標となり、台湾本島に平和が訪れた後も、約20年間もの間、中国からの砲撃にさらされ続けました。特に「奇数日だけ砲撃する」という奇妙な攻撃は、住民に絶え間ない緊張を強いるものでした。
一方で、台湾本島からは「外国」のような扱いを受け、本島へ渡るには出入境許可証が必要で、紙幣も金門限定のものが使用されました。住民は民防隊への強制加入や戦闘協力を強いられ、夜間外出禁止、ラジオやカメラ、さらには中国への逃亡を防ぐためのバスケットボールやバレーボールの所持まで規制されました。戒厳令が解除されたのは1992年であり、中国本土からの観光が解禁されたのはようやく21世紀に入ってからです。
平和と商売の狭間:複雑な歴史を乗り越える試み
かつて殺し合った中国と、最前線として厳しい扱いを受けた台湾。金門島は、その両者との間で繊細なバランスを取りながら現在の姿を築き上げています。市街地のカフェでは、毛沢東と蒋介石が肩を組み、タピオカミルクティーを飲むイラストの描かれたシールが配られていました。これは、金門島を挟んで戦争をしていた二人の指導者を表すものであり、歴史の禍根や政治的な緊張をも、商売魂が軽々と乗り越えていく現代の状況を象徴しています。
台湾と中国の複雑な関係を象徴するイラスト
「両岸一家親」のマグネットが中国本土からの観光客に喜ばれるように、経済合理性を追求する姿勢は、勇ましい政治的言説よりも現実的で望ましい態度であると、筆者は見ています。金門島の複雑なアイデンティティは、地理、歴史、そして経済が織りなす独特な状況の中で形成され、現在もその進化を続けているのです。
筆者紹介
古市憲寿(ふるいち・のりとし) 1985年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。『絶望の国の幸福な若者たち』など著書多数。
参照元
「週刊新潮」2026年1月1・8日号 掲載
新潮社
Source link





