自然減51万人=鳥取県分が消滅 出生数90万人割れ、担当相「驚異的な数字」 




 厚生労働省が24日に発表した令和元年の人口動態推計は、出生数が初めて90万人を割り、自然減は初めて50万人を突破する見通しとなった。出生数は近年約3万人ずつ減っていたが、今年は昨年より5万4400人減る見込みだ。少子化に歯止めがかからず、政府は政策を総動員して対策を強化する必要がある。

 衛藤晟一少子化担当相は出生数が86万4千人との推計について「驚異的な数字が出てしまった。相当思い切った手を打つことがどうしても必要だ」と語った。

 振り返ると、第1次ベビーブーム(昭和22~24年)のピークである昭和24年の出生数は約270万人だった。平成28年に100万人を割り、令和元年は約86万人と推計された。昭和24年に比べ3分の1以下にまで落ち込んだことになる。

 少子化の進展が著しい背景には、第3次ベビーブームが起きなかったことがある。要因は第2次ベビーブーム(昭和46~49年)に生まれた人が社会に出るとき、バブル経済の崩壊に伴う就職難に直面したことが大きい。現在30代半ば~40代半ばの就職氷河期世代には、不安定な就労を余儀なくされた人が少なくない。

 自然減が約51万人となった衝撃も大きい。都道府県で人口規模が最も小さい鳥取県が約56万人だ。毎年、一県分が消滅しそうな勢いで人口が減っている。

 平成元年、日本は合計特殊出生率「1・57ショック」に見舞われた。それまで最低だった昭和41年(丙午=ひのえうま)の1・58を下回ったことから社会の関心を呼んだ。しかし、当時はバブル景気の終盤にあたり社会は深刻に受け止めなかった。

 平成30年は1・42となり、令和元年は1・4を切るとの見方が強い。出生率の低下は社会保障の支え手を減らすことにつながり、将来の年金財政にも悪影響を及ぼす。平成が残した少子化という国難にどう立ち向かうべきか。令和時代の課題は重い。

(坂井広志、永原慎吾)



Source link