有本恵子さんが60歳誕生日 焦る父「はよしてもらわんと」 





自宅でケーキや手料理を並べて一日も早い帰国を願う有本明弘さん=12日午後、神戸市長田区(須谷友郁撮影)

 1年後には、また会えるはずだった-。英国に留学していた昭和58年、北朝鮮に拉致された神戸市の有本恵子さん=拉致当時(23)=が12日、60歳の誕生日を迎えた。留学は1年程度だったはずなのに、拉致で強制的に狂わされ、家族離ればなれの時間はもう40年に近い。再会を願い、自宅で開かれてきた誕生日会に今年、入院中の母親、嘉代子さん(94)は参加できなかった。「いよいよ、はよしてもらわんと」。進展が見えない現状に、父親の明弘さん(91)や家族の焦燥感は募る。(中村翔樹、小林宏之)

 12日夕、神戸市長田区の自宅には今年もケーキや赤飯、ハンバーグなどが並んだ。ケーキには60歳、還暦を祝って6本のろうそくを立てたが、それがかえって時間の流れを痛感させた。「もう少し待っとけと。それしか言えない」。明弘さんの表情は浮かなかった。

 料理は、明弘さんと自宅でともに暮らす恵子さんの姉の尚子さん(61)らが用意したもの。以前は嘉代子さんも一緒に準備していたが、それもできなかった。

 嘉代子さんは昨夏に自宅で転倒し、腰や顔を強く打って入院。一度は退院したが、口数が少なくなった。気落ちした妻に、「このままだと逝ってしまう」(明弘さん)。元気づけようと考えたのが、嘉代子さんが20代のころに近所の写真店で撮影してもらった写真を見せてあげることだった。

 髪を束ね、物憂げに植物を眺める姿は当時、女優のようだと評判になり、ショーウインドーに飾られたほど。「女の人やからな。自分のきれいなころを見たら気分も良くなる」と自宅から探し出し、知人に頼んでサイズも引き伸ばしてもらった。夫の心遣いに嘉代子さんは笑顔を取り戻した。

 恵子さんが大学卒業を間近に控えた57年3月、両親は突然、留学の気持ちを打ち明けられた。反対だったが、恵子さんはそのときすでにロンドンの下宿先も決めていた。「そこまで進んでいたら、認めなしゃあない」(明弘さん)。小学生のころから英語教室に通い、深夜ラジオで流れる洋楽を熱心に聞いていた恵子さんの意思を尊重した。

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