織田信長とはいかなる人物だったのか-。研究者や歴史ファンにとって永遠のテーマであろう。信長の正室とされる「帰蝶」役だった沢尻エリカ被告降板の余波で、異例の1月中旬スタートとなったNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公は明智光秀だが、光秀を描くには信長の人物評価や2人の主従・人間関係、さらに本能寺の変をいかに解釈するか-といった要素を欠かすことはできないだろう。そんな大河ドラマの「影の主役」-信長について、見過ごされがちだった彼をとりまく女性の視点から考えてみたい。(編集委員 関厚夫)
血まみれの魔王か、慈悲の天下人か-その最期
「女は苦しからず。急ぎまかり出よ(逃げよ)」
これが記録上、信長最後のことばとなった。天正10(1582)年6月2日(旧暦)明け方のことである。「是非に及ばず(言語道断)!」。光秀、そして自分自身に向けたであろうこの憤激の一語を発した後、信長は光秀軍を相手に自ら弓矢や槍(やり)を取って最前線で奮戦した。が、まもなく肘に槍傷を負い、奥に退いたとき、回りに控えていた「女ども」に前述のように告げた。
信長研究の原典といえる『信長公記』(著者は信長の側近だった太田牛一)が描く「いまわの信長」だ。天下人の矜持(きょうじ)を後世に伝えるエピソードだが、正反対ともいえる姿を記録した史料がある。本能寺の変から約4カ月後に書かれたとされる『惟任(これとう=明智光秀)退治記』である。
「信長は日ごろ寵愛(ちょうあい)していた美しき女性たちをも刺し殺し、御殿に自ら火をかけて御腹を召された」(訳・東京大学史料編纂所の金子拓准教授。原文は漢文)
『惟任退治記』には「(信長は)朝は廉直な政道を志して曲がったことを糺(ただ)し、日が暮れると奥にいる三千の美女たちの寵愛をほしいままにした」(同)といった一節もある。彼をめぐる女たちに最後に見せたのは、慈悲の心か血にまみれた魔王の顔か。はたしてどちらが信長なのか-。