「明智光秀時代の石垣が今でも見られますよ」
そんな言葉につられて、京都府福知山市にある福知山城を訪ねた。京都府北部に向かうと光秀ゆかりの地が多い。亀岡市には亀山城があり、京丹後市には光秀の娘・玉(ガラシャ)が幽閉されたという「細川ガラシャ夫人隠棲地」もある。
なかでも福知山市は今も“光秀人気”が根強い町だ。織田信長の命を受けて光秀がこの地を平定し、天正7(1579)年ごろに福知山城を築いた。実は福知山という地名も光秀の命名による。
詳しくはないが、初期の石垣にみられる「野面積(のづらづみ)」で積まれた石垣が400年以上を経ても残っていた。自然の石を巧みに組み合わせ、隙間に小さな小石が詰められているのが特徴という。城自体は明治6年の廃城令で廃城となったが、昭和61年、市民の力で天守閣などが再建された。そこにも、地元の光秀への思いが感じられるのである。
「一般的には本能寺の変で主君の織田信長を討った謀反人のイメージが強いと思いますが、福知山ではさまざまな善政を行い、町の礎を築いた名君として今も慕われ続けている存在なんですよ」と教えてくれたのは、福知山光秀プロジェクト推進協議会の事務局長、中野裕行さん。
今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公として注目される光秀の実像を再発見してもらおうと今月、城のすぐ隣にある「佐藤太清記念美術館」の2階に、「福知山光秀ミュージアム」を開設した(来年1月11日まで)。テーマは「『本能寺の変』を起こした明智光秀は、善政をしいた名君だった」だ。
実際、福知山には光秀を祭る「御霊神社」があって驚いた。豊臣秀吉との山崎の戦で敗死してから100年以上もたった江戸時代に創建されたという。聞くと、災害などが相次いだため、当時の城主だった朽木氏が、領民の願いを受けて祭ったそうだ。