【CMウオッチャー】明治期に生保業界の基礎築く 第一生命、創業者をアニメで紹介 

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若いころの矢野恒太=第一生命保険提供

若いころの矢野恒太=第一生命保険提供

 第一生命グループは昨年末から、明治期の人物で現在の生命保険業界の基礎を築いた功労者であり、第一生命保険創業者の矢野恒太(つねた)氏を描いたWEB限定アニメコマーシャル“~矢野恒太「挑戦の道」~”の公開を開始した。このCM、商品宣伝は一切入らず、社名の連呼もない。商売っ気が薄いようにも感じるが、創業者への愚直だが熱いリスペクトが伝わる硬派な作品だ。

 「変革は一人の人間の心の中から、熱き情熱から生まれる」。この言葉に続き冒頭、ザンギリ頭に着流しがりりしい青年の立ち姿が浮かぶ。矢野恒太だ。背景には、セピア色の書類や写真がコラージュされている。アップテンポなBGMに合わせ、彼の生涯が語られる。

 矢野恒太とはどのような人なのだろうか。実は、明治期の金融界を語る上で欠くことのできない超重要人物だ。第一生命の創業者であるばかりか、数多くの生保が採用している会社の形態「相互会社」を日本に持ち込み、さらには官僚として生保業界を整備した人物でもある。

 矢野恒太は慶応元(1865)年、現在の岡山市に生まれ、医学校を卒業し生命保険会社に社医として入社。契約引き受け診査のかたわら保険制度を研究し、海外留学を経て、官僚として保険業法の起草に携わった。その後、理想とする「相互会社」形態の生保を求めて第一生命を創業。関東大震災時には、生命保険協会の協会長として災害対応の陣頭指揮を執った。生保分野以外でも、結核の撲滅に向けた活動などにも尽力した。

 このCMには、芸能人はおろか商品説明も出てこない。第一生命という社名すらほとんど出てこない。それではなぜ制作したのか。

 担当した第一生命の永塚淳子氏は、「会社や商品の宣伝というよりは、矢野恒太という人物を知ってもらいたかった」と説明する。

 矢野恒太は学生時代に医学校を脱走し、両親に無断で上京するなど「初めから立派な人物だった訳ではない」(永塚氏)という。若いころは道に迷い、どう生きるか悩み抜き、生命保険に出合い、世の中のために尽くす人生を選んだ。「人間臭さが魅力の一つ」(同)なのだという。

 第一生命の社内には、これまでも矢野恒太に関する資料用動画はあった。今回、新たにCMを作るにあたっては、若者層に受け入れられやすいようにアニメーションにした。

 最もこだわったのは、矢野恒太のキャラクターデザイン。資料写真を基にしつつも、「挑戦の連続だった人生を表現するため、少し野太い感じを出そうと鼻の高さやあごの線、眉毛の角度を調整した。最初はもっと細面でした」(同)という。

 6分超と長編になったのは、「どのエピソードにも思い入れがあり、なかなか削れなかったため」だとか。CMのターゲットは、就活生や若手ビジネスマンなどを想定。特設のWEBページには、「最大たるより最良たれ」、「無一文で生まれてきたのだから、無一文で死ぬのが理想だ」といった彼の言葉がまとめられている。

 第一生命グループが平成22年に相互会社から株式会社に転換して今年で10年。「矢野恒太の挑戦する姿勢は今も第一生命に息づく。事業多角化などを目指した10年前の株式会社化もその一つだ」とは永塚氏。“第一生命人”に流れる挑戦のDNAを感じ取ってほしい。(経済本部 林修太郎)

 

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