《長野県立長野高校を選んだのは、熱心な指導で知られた野球部があったからだった》
私が「長野高校に行く」というと、父親は「お前、まさか高校で野球をやるんじゃないだろうな」と疑いました。義務教育が終わったのに、野球なんかやって遊ぶとはけしからん、というわけです。鉄工所を経営する父親は「7つ上の兄貴と同じ長野工業高校に行け」と言っていました。工業高校を出て工場(こうば)を継げと。私は長野高校で野球をやりたい一心で「やりません」と嘘をつきました。中学の先生も「お父さん、この成績で工業高校に行く子はいません。長野高校を出て、大学の工学部に行ってから鉄工所を継げばよいですよ」と説得してくれました。そうして念願の長野高校に進学できましたが、おふくろは私が野球部に入ると分かっていました。入学すると、すぐに野球部に入りました。髪を丸刈りにして帰宅すると、当然、父親から怒られますから「あくまで仮入部。2週間したら必ず辞める」と言い張りました。
《県下有数の進学校で、制服のない自由な校風。学業よりも部活を優先する生徒は少なかったが、念願の野球部で練習に明け暮れる日々を送る》
練習は毎日午後8時くらいまで続きました。帰宅すると9時半です。野球をやるために長野高校に来ているので、勉強をしようという気はありません。野球部の監督から「英語だけはやっておけ」と言われ、英語だけは勉強しましたが、好きな科目は物理と数学でした。理屈を積み上げるのが好きなんですね。むやみに暗記する科目は嫌いで、なぜ歴史の年表を覚えなければいけないのか、そんなの読めば分かるだろうと思っていました。実は野球部に入った当初、監督から「お前は(午後)6時に帰れ」と言われたのです。私は未熟児で生まれ、おふくろはお医者さんから「心臓が弱い」と言われていたようで、監督に「心臓が止まってしまう。早く帰らせてほしい」と訴えていたのです。それほど、おふくろは私の体を心配していました。