「命のビザ」発給80年、杉原千畝に今も顕彰の動き リトアニアでは「杉原の年」



クリチェリ・ヨセフさん(中央)の説明を受けながら杉原千畝記念館を取材するイスラエルのメディア=令和元年11月10日、岐阜県八百津町(鈴木俊輔撮影)
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 先の大戦中、「命のビザ」で多くのユダヤ人を救った外交官・杉原千(ち)畝(うね)(1900~86年)。その功績は戦後70年以上が過ぎた現在も高く評価されている。先の大戦中にナチス・ドイツから迫害されたユダヤ人を救ったのは杉原だけではないが、国民の7割以上がユダヤ教徒のイスラエルではいまなお顕彰する動きが続く。杉原がビザを発給して今年で80年。イスラエルにとって杉原の功績を語り継ぎ、伝えていくことにどんな意味があるのか。(鈴木俊輔、写真も)

 テルアビブの北に位置するネタニア市。杉原のビザを手にした「サバイバー(生存者)」やその子孫が多く暮らすこの街には、「スギハラ・ストリート」と名付けられた道がある。現在は看板があるだけだが近く整備される予定で、エフレイン・ブルマシュ副市長(66)は「ネタニアには多くのサバイバーがおり、杉原さんの功績をもっと広めたい」と話す。

 同国では、初代首相の名前をとったベングリオン国際空港に代表されるように、道路や施設に歴史上の人物や偉人の名を冠することが多い。杉原の功績を顕彰しようと各地で同様の動きが進んでおり、別の市には、「スギハラ公園」と名付けられた公園もある。

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