「真面目で素直でかわいくて、みんな泳ぐことが大好きだった」。9年前の東日本大震災。部活動中だった部員7人と顧問の小野寺(旧姓・毛利)素子さん=当時(29)=が犠牲、行方不明となった岩手県立高田高校(陸前高田市)水泳部で、もう一人の顧問だった畠山(旧姓・堀江)由紀子さん(46)=現・同県立杜陵(とりょう)高定時制教員=は、亡き部員たちの思いを抱えながら生きている。
「なんで水泳部だけが、こんな目に遭うのか」。震災直後の遺族からの言葉は、胸の奥深くに突き刺さったままだ。3月に入ると、少ない情報を頼りに探しあてた部員7人のお墓を一つ一つ訪ね、手を合わせる。「何も悪くないのに…。ごめんね」と。
あの日はテスト期間明けで、約2週間ぶりの部活だった。巨大地震が襲ったのは午後3時からの練習開始直前。部員たちは3カ月後の県大会へ向け、準備のため高校から少し離れたプールに集まっていたという。
混乱に陥る校内第2グラウンドで、自らは生徒たちの安否確認に追われていた。勢いよく学校を飛び出す車の窓ガラス越しに、小野寺さんの真剣な横顔を見たことを覚えている。部員たちはプール施設の職員が運転する車に乗せられ、避難した市民会館と市役所で津波にのまれた。そして校長に「プールに行く」と言い残し、部員を捜しに向かった小野寺さんの行方は今も分かっていない。
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「先生、高田で一緒に水泳部の顧問をやりましょ」。震災の2年前、盛岡市内の高校の水泳部顧問だった当時、小野寺さんから冗談まじりに声をかけられたことが赴任のきっかけだ。導かれるように入った高田高水泳部の部員は十数人。試合経験がない部員もいる中、共通していたのは、泳ぐことを全身で楽しむ姿だった。練習メニューは弘前大学水泳部出身の小野寺さんが毎日、作成した。顧問2人が率先して水にも入った。自己ベスト更新を目標に掲げ、ひたむきに励む部員たちの水しぶきは、いつもキラキラしていた。