東日本大震災から9年を迎えた11日、岩手県釜石市でダイニングバー「M」を営む木皿(きさら)昌宏(まさひろ)さん(53)は、津波で亡くなった母の美和子(みわこ)さん=当時(64)=が眠る高台の墓前に立った。
美和子さんは同市内で40年以上にわたって居酒屋を経営していた。震災後、ふるさとに戻って店の再建に奔走した昌宏さんは今では、母と同じ飲食の世界に身を置く。新型コロナウイルスの影響で市の追悼式が縮小されたが「場所や形式は関係ない。大事なのは、大切な人をしのぶ気持ち」。静かに手を合わせた。
優しく料理上手な美和子さんは、快活で多趣味な姉の宏子(こうこ)さんとともに、店を切り盛りしていた。自家製みそのおでんが人気で、常連客でにぎわっていたが、9年前の津波は、海から300メートルほどにあった自宅兼店舗をのみ込んだ。
宏子さんは向かいのビルの3階に避難したが、美和子さんは自宅に残り、流された。当時、愛知県で会社員をしていた昌宏さんは車で通い、母を捜し続けた。
遺体と対面したのは、発生から35日目。宏子さんが「ここにいる」と言った場所から美和子さんの遺体が発見された。昌宏さんは「諦めたのか、逃げ遅れたのか。今となってはもう分からない」と悔やむ。
悲しみの中、宏子さんは店の再建を決意。昌宏さんは釜石に戻り、宏子さんを手伝った。避難所生活の中でも明るさを失わず「人を放っておけなくて『飲んでいきなよ』と声をかけるおばだった」(昌宏さん)。平成23年12月末、市内の別の場所で店を再開した。
だが、店が軌道に乗ったころ、宏子さんにがんが見つかった。「母には、ありがとうもごめんも、さよならすら言えなかった」。宏子さんは29年、76歳で亡くなったが、昌宏さんは母の分まで宏子さんの闘病を支えて最期を看取り、美和子さんと同じ墓に葬った。
その後、昌宏さんは自らの店をオープン。店名には自身と母親のイニシャルと、「みんなの思い出(Memory)になるように」という思いを込めた。店には、美和子さんと宏子さんの笑顔の写真が飾られている。
あの日から9年。活気があったかつての釜石は、遠く感じる。それでも、昌宏さんは「2人が作ったようなみんなのよりどころになれるような楽しい店を作っていきたい」。2人の思いは、自身の胸に生き続けている。(大渡美咲)