【主張】性的虐待の判決 実情を踏まえ常識示した

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 理不尽極まりない判断が覆った。心に深い傷を負う性的虐待の実情を踏まえた常識的な判断である。当時19歳の娘に性的虐待を行い、準強制性交罪に問われた父親に対し名古屋高裁は1審の無罪判決を破棄し、懲役10年とする実刑判決を言い渡した。

 高裁判決によると、被告は同居する娘が中学2年になったころから日常的に性交を強要していた。平成29年8月と9月、会社やホテルで娘と性交したとして起訴された。裁判では抵抗が著しく困難な「抗拒不能」の状態にあったかが争点となった。

 1審名古屋地裁岡崎支部の判決は、娘が父親の精神的支配下に置かれていたことは認めながらも、過去に抵抗して拒めた時期もあったなどとした。「人格を完全に支配して服従させる関係だったとは認めがたい」と「抗拒不能」の状態を否定していた。

 これに対し高裁は、娘が性的虐待を受け続けるなかで逃げることや抵抗することへの無力感を感じ、抵抗の意欲や意思をなくしていたと判じた。学費など金銭的負い目を感じさせられ、心理的圧迫も受けていたとした。性的虐待の実態を考えればうなずける。

 娘は抵抗しなかったのではなく、長年の虐待で抵抗する力を根こそぎ奪われていたのだ。1審でそうした判断がなぜ示されなかったのか。

 1審判決直後、「司法による2次被害」などと声を上げたのは性被害にあった当事者たちだ。

 性犯罪は対等か、互いを尊重している間柄では起こりえない。親子であれば子供は経済的に親に頼らざるを得ず、逃げたくても逃げられない。1審の裁判官にはこんな常識もなかったのだろうか。

 刑法の性犯罪規定は29年に改正され、厳罰化されたが、「同意のない性行為」というだけでは犯罪にならない。「抗拒不能」の要件は冤罪(えんざい)を防ぐためとされているが、被害者が抵抗を封じられ、声をあげにくい性犯罪の実情を映した事実認定や解釈が積み重ねられてきたといえるだろうか。

 司法は国民の信頼なしには成り立たない。裁判官が社会常識から隔たれば信頼は得られまい。

 今回のケースを受け、専門家らを交えた研修など、被害実態を広く共有する機会が必要ではないか。それが裁判の命綱である正確な事実認定にもつながる。

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