《高校は台南市内の進学校に進んだ。勉強熱心で、先生の言うことをよく聞く真面目な学生だった。高校2年生のとき、当時一党独裁だった与党・中国国民党への入党を薦められ、何の抵抗もなく承諾した》
学生時代から講演が得意だった。各種スピーチコンクールに参加し、たびたび入賞した。高校卒業直後に参加したスピーチコンクールでは、「指導者に忠誠を誓う」がタイトルで、私は優勝した。今でも覚えているが、私のスピーチは新聞などによく掲載される、ある有名な写真の説明から始まった。中華民国の建国の父、孫文と当時の最高指導者、蒋介石が一緒に列車に乗車している写真で、私はその歴史的な背景から2人の表情を解説し、「指導者の偉大さ」を熱く説いた。
台湾で民主化が実現した後に分かったことだが、その写真は、蒋介石の権威を高めるための合成写真だった。自分は国民党の洗脳教育の被害者だったことに改めて気づかされた。私だけではなく、当時のすべての台湾人はだまされていた。「平気で大きな嘘をつく」、それが一党独裁の恐ろしさだと思った。
《大学受験で台湾大学商学部を第1希望にした。早くお金を稼いで両親を楽にしたい気持ちを優先した結果だ。しかし、実際勉強を始めてみると、自分は商売に全く興味がないことに気づいた》
大学1年生の冬休み、たまたま耳にしたある演説によって、私の人生は大きく変わった。その冬に行われた立法委員の補欠選挙に立候補した民主化活動家、黄信介(こう・しんかい)氏が台北市内の市場で行った演説で、国民党政権を痛烈に批判した内容に衝撃を覚えた。
子供のころから、村の古老に「政治にかかわるな」といわれ続けた私は、黄氏について「なんて大胆な人だ」「かっこいい」と思った。黄氏の言うことは非常に具体的で、説得力があり、目からうろこが落ちる思いだった。自分の今まで得意にしていたスピーチは国民党の宣伝にすぎないことに気づいて恥ずかしかった。そして、黄氏が目指す立法院は法律を作る所だと知り、すっかり黄氏の大ファンとなった私は、商学部をやめて法学部に行くことを心に決めた。