「カラスの勝手でしょ」「アイ~ン」-。独特のばかばかしさにあふれたギャグを次々に生み出し、長年、お笑い界のトップを走り続けた志村けんさんが、新型コロナウイルスに感染し、死去した。昭和時代の子供をとりこにし、現在に至るまで世代を継いではやったギャグは社会現象にも。高齢者から子供まで誰もが知る志村さんの死は、日本のコロナ禍に一層の衝撃を与えた。
志村さんは、音楽・コントグループ「ザ・ドリフターズ」でギターを担当したが、音楽グループとしてのドリフというよりも、コメディアンを目指してのグループ入りだった。
グループの看板番組「8時だヨ!全員集合」が最高視聴率50・5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を取ったのは、まだ加藤茶さんがグループのお笑い人気を支えていた昭和48年のこと。49年に正式メンバーとなった志村さんは、出身地である東京都東村山市を歌った「東村山音頭」をきっかけに、子供たちから絶大な支持をされ、押しも押されもせぬ、グループの人気者となっていった。
当時は「全員集合」と並び、グループの冠番組だった「ドリフ大爆笑」なども、「下品」「低俗」と非難され、PTAなどの教育関係者からやり玉に上げられることも多かった。
ただ、「東村山音頭」のほか、「カラスの勝手でしょ」「アイ~ン」など、数々のギャグを生み出し、大人の渋面をよそに、子供たちが学校でまねをする姿は当時から現在まで続く。
じゃんけんの際に普通に使われる「最初はグー」の掛け声も、志村さんがテレビ番組で使ったことをきっかけに広まったとされる。それほど影響力は大きかった。