《2000年5月20日、台湾民主化後、2代目の総統に就任した。就任演説の内容以外に、国内メディアが最も高い関心を寄せていたのは、行政院長(首相)人事だった》
民進党内には、謝長廷氏、蘇貞昌(そていしょう)氏ら優秀な人材はたくさんおり、私を当選させるために一生懸命汗をかいてくれた。彼らの中から首班を指名することができたら、私もきっと仕事がしやすいだろうと思った。しかし、そういうわけにはいかなかった。当時、立法院の中で民進党の議席は約3分の1しかなかった。総統も行政院長も民進党が取ってしまったら、国会はたちまち空転してしまうことは想像できていた。
選挙期間中、私はノーベル化学賞受賞者の中央研究院院長、李遠哲氏を首班指名すると公言していた。政党の色がなく、広く尊敬されている李氏なら、国民党も文句を言わないはずだ。しかし、選挙中に「私の名前を使っていいよ」と言ってくれた李氏だが、実際に行政院長を受ける気はないだろうとはうすうす感じていた。案の定、正式に依頼すると、固辞された。
《就任式の約1カ月前、軍の上層部に不穏な動きがあった。軍首脳らが陽明山に集まり、政権交代への対応について内部会議を開いたのだ。陸軍司令官の陳鎮湘氏ら一部強硬派は、「台湾独立分子の陳水扁に忠誠を誓うわけにいかない」といった発言をしたという》
軍は長年、国民党の実質の私兵で、中国から渡ってきた外省人が主導権を握っていた。彼らから見れば「台湾の独立」を主張する私たち民進党関係者は鎮圧の対象でしかなかった。