拉致被害者の救出運動は平成9年3月25日の家族会結成が原点だ。国民が拉致の事実さえ知らなかった当時、親世代の家族はわが子に再び祖国の土を踏ませようと懸命に動いた。滋さんの死去で、未帰国被害者の親で存命なのは早紀江さんと有本恵子さん(60)=拉致当時(23)=の父、明弘さん(91)の2人だけとなった。
救出運動は過酷だった。街頭では救出を要望する署名用紙を乗せたボードをはたき落とされ、拉致を否定する罵声を浴びせられた。北朝鮮に被害者帰国を迫るよう政治家に強く求めても、逆行する動きさえあった。
それでも、家族は粘り強く署名を集め、解決を訴え続けた。中でもめぐみさんへの愛情を胸に全国を巡り、実直な思いを伝えた滋さんの姿は「象徴」として運動を支えた。
支援組織「救う会」の西岡力会長は「政治が拉致問題を置き去りにする中、拉致解決を国民運動のうねりにつなげたのは、親世代を中心とした家族だ」と話す一方で「本来、日本が一体で被害者を助けるべきなのに家族を過酷な先頭に立たせてきた」と声を落とす。
早紀江さんら親の世代は「自分たちで運動を完遂する。若い家族に同じ思いをさせない」と願うが、拓也さんや、哲也さんら働き盛りの若い家族は活動を引き継がざるを得ない。
政府は「国民世論の後押し」を拉致解決の原動力に挙げる。だが、平成29年公表の国の世論調査では、北朝鮮への関心事で「日本人拉致」と答えた18~29歳は64・9%と年代別で最低。若い世代を中心に問題の「風化」が如実になった。
田口八重子さん(64)=同(22)=の兄で、家族会代表を滋さんから引き継いだ飯塚繁雄さんも82歳だ。最後に被害者を救うのは国だ。再会の時間が限られる中、家族らは政府の取り組みに強いまなざしを送っている。(拉致問題取材班)