【話の肖像画】セブン&アイHD名誉顧問・鈴木敏文(87)(7)新卒採用へ懸賞作文も

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昭和40年ごろの社員募集のチラシ。事業拡大のため、新卒者の採用を積極的に行った

昭和40年ごろの社員募集のチラシ。事業拡大のため、新卒者の採用を積極的に行った

 《前職の東京出版販売(現・トーハン)での組合活動の経験を買われ、転職したヨーカ堂では人事課長に就任。事業拡大で新入社員の確保が急務となった》

 店をどんどん出すには人を集めないといけない。1年間のうち4カ月から半年間くらいは地方の高校を訪問していた。北海道から九州、沖縄まで全国です。昭和40年ごろのことで、米国統治下だった沖縄にはパスポートを持って行っていましたよ。

 当時の社名は「株式会社ヨーカ堂」。社名を言っても知名度がないから、「ようかんを作ってる会社なんですか?」なんて言われる。それに、スーパーという業態も分からない。若い人には花形産業の自動車や家電メーカーが人気な頃です。

 だから、スーパーとは何かを分かってもらうため、大きなスライド機材を持参して、上映しながら説明した。仕事の内容に親しみをもってもらいたいので、入社後の仕事や寮生活などを紹介した後、入社1、2年の女子社員が自分の体験談を話したり。先生向けには卒業生の働きぶりを伝える資料も作った。

 《40年、社名は「ヨーカ堂」から「伊藤ヨーカ堂」に、店名は「イトー・ヨーカ堂」に変更された》

 店舗が増えるにつれ、「ヨーカ堂」の名前では取引先と顧客とのトラブルが起き始めた。もともとは洋品店だった「羊華堂」から、のれん分けで誕生した会社なので、ヨーカ堂という名前の会社は都内に他にも幾つかあるのが原因だった。

 採用でも、対応した先生方から「どこのヨーカ堂?」と聞かれたり、「ヨーカドーさんなら、もう来られましたよ」と言われたり。先生が履歴書を別の羊華堂に送って採用されてしまう事態も起きていた。

 《拡大路線は拍車がかかり、43年は新卒採用の社員数は約700人。採用活動に幹部社員全員が関わる仕組みを導入して人材育成への理解を深めたり、社内資格制度を始めたりするなど独自の人事制度を整備した》

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