家屋などの残骸が高く積み重なる東日本大震災から2カ月後の宮城県石巻市門脇町。目を真っ赤にし、素手で地面を掘る加藤啓子さん(70)に出会った。行方不明の夫和行さん(当時60歳)と父吉一さん(同87歳)を捜していた。
【2011年5月 手掛かりを探す加藤さん】
「あの頃は死ぬことばかり考えていて。毎日、避難場所から泣くために自宅跡に行っていたの」と当時を振り返った。
結婚して36年。吉一さんが営んでいた燃料店を継いだ夫は、怒ったことが一度もない優しい人。子はおらず、季節の旅行や週末のテニスを楽しみにする仲の良い夫婦だった。
津波の後、同居していた叔父郁男さん(同81歳)は遺体で見つかったが、2人はどこにもいなかった。安置所に足を運び遺体を確認する日々。臆病な自分にできたことが驚きだったが、必死だった。会えぬまま時間は過ぎ、その年のうちに、唯一見つかった和行さんの釣り道具と吉一さんのパジャマを墓に納めた。「私だけ生き残って、ごめんね。ごめんね」。また涙がこぼれた。
それからも2人を捜す年月で、車の運転、電球の交換など夫に頼っていたことが、一人でできるようになった。その後、肺がんを患ったが手術で乗り越えた。「誰が2人を待つの。仏壇を守るの」と、毎週のように励ましに来る友人たちのおかげだった。
先日、夢で頰を触れられた。振り返ると夫が笑っていた。震災後、初めて笑顔を見られてうれしかった。「幽霊でも、声だけでも、何でもいい。会いたい」。啓子さんは9年半が過ぎた今も、毎日思い続けている。【梅村直承】