ハリス氏、米国初の女性副大統領に

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ハリス氏、米国初の女性副大統領に

【AFP=時事】カマラ・ハリス(Kamala Harris)上院議員(56)は7日、世界で最も高いガラスの天井の一つを突き破り、米史上初の女性副大統領に選出されるという歴史を作り、ドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領の荒れ狂った支配を終わらせることに寄与した。

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 ハリス氏は、カリフォルニア州で黒人としても女性としても初の州司法長官を務め、南アジア系のルーツを持つ女性として初の米上院議員となるなど、常に先駆者であり続けた人物だ。

 副大統領の地位を勝ち取ったことで、米国を率いるという究極の目標への足掛かりの準備ができた。

 現在77歳のジョー・バイデン(Joe Biden)氏は、大統領を1期のみしか務めないものと予想されている。すると4年後の2024年米大統領選では、ハリス氏が民主党の指名争いを勝ち抜く可能性も出てくる。そうなれば、ハリス氏に、さらに大きな歴史をつくること、すなわち米国初の女性大統領になるチャンスをもたらすだろう。

 ハリス氏はツイッター(Twitter)に「母は私を、前例から解放されて何ができるかを見るように育てた」と投稿している。

 ハリス氏は8月にバイデン氏の副大統領候補として指名されて以降、トランプ氏の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する支離滅裂な対応を激しく非難するだけでなく、人種差別主義や景気、トランプ氏の移民取り締まりを批判してきた。

■アメリカンドリームを体現した人生

 ハリス氏の父親はジャマイカ、母親はインドから米国に来た移民だ。両親とハリス氏自身の人生は、ある意味でアメリカンドリームの体現だった。

 ハリス氏は1964年10月20日、カリフォルニア州オークランド(Oakland)で生まれた。オークランドは当時、市民権運動と反戦活動の中心地だった。

 黒人が通う大学として伝統のある首都ワシントンのハワード大学(Howard University)の学位を取得。卒業後は検察官となり、サンフランシスコ地方検事を2期務めた後、2010年にカリフォルニア州司法長官に任命された。

 ハリス氏が自身を表現した「進歩的検察官」という言葉は、ハリス氏が不当な有罪判決を支持して争ったり、警察による銃撃には司法長官の徹底調査を義務付ける法案といったカリフォルニア州の特定の改革に反対したりしたとして、批評家らに付け込まれることとなった。

 それでもハリス氏の働きは、2016年の上院議員選で史上2人目の黒人女性上院議員という快挙を成し遂げるのに重要な礎となった。

■民主党討論会ではバイデン氏と激突

 州司法長官時代は、バイデン氏の息子で、デラウェア州で同じ役職にあった故ボー・バイデン(Beau Biden)氏と職務上、良好な関係を築いたが、ボー・バイデン氏は2015年にがんで死去した。

 ハリス氏の副大統領候補指名後、初めて同氏と一緒に姿を現したバイデン氏は「私はボーがどれほどカマラと彼女の働きぶりを尊敬していたかを知っており、正直に言って、私がこの決断をするにあたって、とても大きな意味があった」と語った。

 有力な選挙運動家としてカリスマ性を醸し出しているハリス氏だが、メガワット級の笑顔は、容赦ない尋問と鋭い切り返しを行う検察官の顔へと素早くすり替わる。

 2017年にロシア疑惑をめぐり連邦議会議事堂(Capitol Hill)で行われた公聴会で、当時のジェフ・セッションズ(Jeff Sessions)司法長官に鋭い質問を行うハリス氏のビデオは拡散した。

 ハリス氏は民主党の大統領候補指名争いに名乗りを上げ、民主党候補の第1回討論会では、バイデン氏が1970年代に人種別学校の統合を目指したバス通学プログラムに反対したことを取り上げてバイデン氏を攻撃した。

 その際にハリス氏は、カリフォルニアのある少女も、自分の学校が統合プログラムの対象なため、毎日バスで白人が多数を占める学校に通っていたと語った。そして、こう続けた。「その少女は私です」

 ハリス氏との激突にもかかわらずバイデン氏は候補者討論会で同氏を指名、ハリス氏の活気あふれたエネルギーを、注意深く演出されたバイデン氏の選挙運動に持ち込んだ。

 副大統領候補討論会では、ハリス氏は発言を遮ろうとしたマイク・ペンス(Mike Pence)副大統領に手を上げて合図した。

「副大統領、私が発言中です。私が話しています」とペンス氏をにらみつけて黙らせた。

 討論会の数時間後には、ハリス氏の言葉が書かれたTシャツがオンライン上で発売された。【翻訳編集】 AFPBB News

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