生涯にわたり西洋政治思想研究に没頭した崇実大学政治外交科のソ・ビョンフン教授が今月初め『民主主義-ミルとトクビル』という本を出版した。政治に直接参加して民主主義を深く考えた2人の同時代人であるフランスのレクシ・ド・トクビルと英国のジョン・スチュアート・ミルの著作と過去を細かく追跡し、民主主義の可能性と限界にメスを入れた力作だ。
19世紀初期の米国を直接視察したトクビルは米国の民主主義に賛辞を送りながらも誤る可能性に深い懸念を示した。多数が支配する民主主義は支配を受ける少数と反対勢力を国民の名で強迫し、法治を無力化し、民主独裁に変質する危険を持っているということだ。平等な民主主義社会で多数が力を持つのは当然だが、その多数が考えの異なる少数を抑圧できることが問題だ。多数の圧制の前で個人の自由と個別性が圧殺されるソフトな独裁、民主主義で包装した独裁に転落しかねない。文大統領が2位と550万票を超える差で当選し、民主党が圧倒的多数党であるのは事実だが、それをあたかも文大統領や政府与党の思い通りにすべてできる白紙小切手だと考えるのは多数の圧制に違いない。
民主主義の効率性問題に注目したミルは民主主義の枠組みの中で熟練した専門家がより大きな役割をできなければならないと強調する。能力が優れた人が先に立ちもっと大きな声を出せるよう大衆が一歩後退する知恵を発揮する時に民主主義でも円滑で効率的な問題解決が可能だということだ。平凡な人たちが優秀な人を引き下ろす民主主義の下方平準化リスクに対する警告だ。
制度を運用するのは結局人だ。出世と自分の利益のために力のある側につき、不当で卑怯なことをいとわない素人政治家と公職者が多数を占める限り、民主主義はまともに回っていきにくい。秋長官の側に立ち尹総長らに刀を刺す検事らと、尹総長を「大逆罪人」に追いやり秋長官の刀の舞いに調子を合わせる政府与党の政治屋を見ると息が詰まる。いまは苦しく損失が出たとしても、所信を守る志操、お腹がすいても汚いものは食べない気概、未来と子孫を考える雄大な抱負、節制と寛容の美徳を備えられてない人たちが政界に集まっている限り民主主義ははるかに遠い。トクビルが民主主義の重要な条件として高尚な習俗を強調したのもこうした理由からだ。
毎日の暮らしに忙しいという言い訳で嘆いてばかりいればいつの間に民主主義が独裁に変わり私たちの首を締めてくるかもわからない。残念な現実だが民主主義のほかに私たちに他の対案はない。
ペ・ミョンボク/中央日報論説委員・コラムニスト