今西千尋さんと家族
京都市に住む今西千尋さんは、7年前に性別適合手術を受け女性となった。「女性として生きたい」と決意したとき、千尋さんはすでに結婚し、2児のパパになっていた。(朝日放送制作 テレメンタリー『パパがある日女性に』より)
【映像】テレメンタリー「パパがある日女性に」
中学時代の千尋さん
1965年、京都府内で代々続く鉄工所の長男・文彦として生まれた千尋さん。しかし幼い頃から、自分が男性であることに違和感を持つようになる。「赤のマジックで爪を赤くしたりしていましたから。よく怒られました、おばあちゃんに」。
「LGBT」や「性同一性障害」といった言葉がほとんど認知されていなかった時代。違和感の正体は分からず、誰にも相談できないまま学生時代を過ごした。「今やったらそういう生き方を選択できるけど、生きていくための選択肢が無かったから、やっぱり隠すっていうことを選んでしまったのかな」。26歳で実家の鉄工所に入社。その後、知人の紹介で知り合った博子さんと結婚、2人の子宝にも恵まれた。
結婚式での千尋さんと博子さん
しかし結婚10年目を迎えた頃のことだった。「私のカバンとかタンスから女性用の下着が見つかって。追及されて、本当のことを言った」。夫からの告白に、博子さんは「いい人でいいパパでいい夫なのに女性、というところの落差の激しさがあって、大きな動揺とショックで…」このとき、息子の竜太さんは7歳、娘の奏絵さんは3歳だった。
次第に千尋さんは、博子さんや子どもたちの前で女性の姿を見せるようになる。「旅行とか行ったときに、知らない人に見られる感じがちょっと嫌ではありましたね。僕らも見てて、“ああ、きついな”という時はありました」(竜太さん)、「“この人お父さんです”というのが怖くなってきて…。嫌な目で見られるのが怖かったんだと思います」(奏絵さん)。
次第に家族との心の距離が広がり、千尋さんは家を出ることになった。
■首に紐を掛けた瞬間…
千尋さん
当時、父の跡を継いで鉄工所の社長をしていた千尋さん。女性らしい格好で出勤すると、差別と偏見の目に晒された。「“あそこの社長、おかまになったんやって”とか、“女として生きてはるんやって“とか。そういう噂がどんどん来たんですよ。そうすると今度は身内から“そんなんでは社長としての信用がなくなる”とか。そのときが一番辛かったですね」。
孤独感を深めていった千尋さん。深夜、誰もいなくなった会社の倉庫へ独り向かった。「“やっぱりだめよな、ここで女性として生きるのは”と。これはもう無理や、自らの命を絶たなあかんと。覚悟を決めて、首に掛けたら締まるような結び方をして、ちょうど掛けて…。その瞬間ですかね。朝の3時ですよ?博子さんから電話がかかってきたんですよ…」。