1852年に発明された飛行船
飛行船(画像:写真AC)
最近、飛行船とアドバルーンをめっきり見かけなくなった。昭和時代にはビルの屋上に色とりどりのアドバルーンが浮いていたり、飛行船が空を飛んでいたりする姿が当たり前だった。どちらにも広告が載っていた。
【写真】60年前の「アドバルーン」を見る
見る機会が減ったのは、平成に入ってからだ。もちろん令和の現在、上空を見上げたところで、姿形もない。いったいなぜだろうか。その前に飛行船とアドバルーンの歴史について簡単に触れてみよう。
飛行船は1852年、フランスのアンリ・ジファールによって発明された(日本はまだ江戸時代!)。
元々は旅客用として開発され、20世紀前半まで大西洋を横断する航路も存在していた。しかし、1937年にアメリカで起こったヒンデンブルク号の爆発事故をきっかけに、安全性が疑問視された。
また、飛行機の技術進歩で旅客用として使われる時代は終わってしまった。その後は広告用を主な用途として、その命脈を保つことになった。
アドバルーンの歴史とは
アドバルーン(画像:写真AC)
アドバルーンは、実は日本で発明されたものだ。ちなみに和製英語なので、外国でアドバルーンと言っても通じない。英語では
「advertising balloon」
だ(「バタイジング」が付いただけだが……)。
気球自体はフランスで発明されたが、そこに広告コピーを書いた布をぶら下げるという手法は日本で確立されたのだ。
気球の広告利用は、日本橋にあった
・中山太陽堂
・レート化粧品
が1913(大正2)年に行ったのが最初とされている。これを本格的に事業にしたのは、水野勝蔵という人物だった。
1919年に東京で広告代理業を始めた水野は、中山太陽堂などが使っていた気球広告に目を付けた。それらは気球本体に化粧品名を入れていたのだが、水野は字幕の入ったのぼりを取り付けることを考案する。
空は開放されているため、単に目立つだけではなく、屋外に広告物を置くのと異なり
「使用料や税金がかからない」
というメリットがあった。
もちろんそれは当時の話で、現在は条例により自治体に諸費用の納入が必要だ。