宮内庁は9月30日、故寬仁親王の第一女子である彬子さま(43)が、当主が不在となっていた三笠宮家の新たな当主となることを発表しました。これと同時に、信子さま(70)は三笠宮家を離れ、新たに「三笠宮寬仁親王妃家」を創設し、その当主となるとのことです。この発表は、三笠宮家の未来に関する重要な転換点を示すものであり、その背景には母娘間の繊細な関係が複雑に絡み合っています。
三笠宮家における世代交代の発表とその背景
この度の宮内庁の発表は、長らく続いた三笠宮家の当主不在という状況に終止符を打つものです。彬子さまは、英オックスフォード大学マートン・コレッジでの留学体験記『赤と青のガウン』が38万部を超えるベストセラーとなるなど、学術分野のみならず、「徹子の部屋」や「彬子女王のオールナイトニッポンPremium」といったメディアにも積極的に出演し、公務以外でも多岐にわたる活躍を見せています。
公務に励む彬子さま、三笠宮家の新たな当主として
一方、信子さまは、現在の自民党副総裁である麻生太郎氏の実妹にあたります。今回の当主問題が表面化したのは、昨年11月に三笠宮家の当主を務めていた百合子さまが薨去されたことがきっかけでした。宮内庁は今年6月、彬子さま、信子さま双方に対し、「百合子妃殿下薨去後の三笠宮家及びご家族のあり方について(案)」と題する内部文書を提示。この文書には、彬子さまが三笠宮家を継承すること、そして信子さまが三笠宮家から離れて独立の生計を営むことが明記されていました。
発表直前の急展開:信子さまの「三笠宮」宮号への希望
しかし、事態は9月下旬、宮内庁の記者発表直前になって急展開を迎えます。三笠宮家を出て独立する信子さまが、新しい家名に「三笠宮」の宮号を付けたいと希望されたのです。この想定外の申し出に対し、宮内庁は慌てて三笠宮家の親族に説明に走る事態となりました。取材に応じた元内親王は、「公式文書では『寬仁親王妃信子殿下』となるので、決して三笠宮とはつきません、という宮内庁のご説明でした」と当時の状況を語っています。
三笠宮家の宮号使用を希望する信子さまの強い意向を示す引用画像
記者発表のわずか3日前には、この信子さまの意向と宮内庁の説明が彬子さまにも伝えられました。彬子さまは宮内庁に承知できない旨を伝えたものの、「これ以上議論すると合意自体が覆りかねない」として、話は打ち切られてしまったといいます。
深まる母娘間の確執、文藝春秋が報じる詳細
なぜ母と娘の関係はここまで複雑な確執を抱えるに至ったのでしょうか。11月10日に発売される「文藝春秋」12月号および「文藝春秋PLUS」の特集記事では、この三笠宮家“分裂”の核心が深く掘り下げられています。そこでは、彬子さまが「母との関係が終わった瞬間だった」と語る家出事件や、信子さまが患われている「ストレス性喘息」の原因、宮内庁内部文書のさらなる詳細、そして元内親王の具体的な告白などが明かされる予定です。
この一連の出来事は、皇室内部における世代間の継承問題や、ご家族間の複雑な人間関係、さらには宮内庁の対応の難しさを示すものとして、今後の動向が注目されます。三笠宮家の新たな体制は整えられたものの、その舞台裏に秘められた確執の全容が明らかになることで、皇室のあり方について新たな議論が生まれるかもしれません。
参考文献:
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「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2025年12月号





