「戦地ウクライナの現実を直視せよ」日本人ジャーナリストが“現地取材”  虐殺の街ブチャ・地雷に悩むハルキウ近郊の村

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「戦地ウクライナの現実を直視せよ」日本人ジャーナリストが“現地取材”  虐殺の街ブチャ・地雷に悩むハルキウ近郊の村

FNNプライムオンライン

【画像】終わらぬ戦争…罪のない子供たちは

9年ぶりのウクライナ訪問

フリージャーナリスト・西谷文和さん:
9年ぶり。2014年の3月に来て…その時はここでマイダン革命をしていまして、このビル燃えていましたからね、黒いすすでしたけれども

初めての取材は2014年。当時政権を握っていた親ロシア派の大統領に反発する市民デモを取材した時だった。9年前から募るロシアへの“怒り”。首都・キーウの街並みにもあらわれていると西谷さんは話す。

フリージャーナリスト・西谷文和さん:
キーウで感じたのはウクライナ政府や人々が立てている看板で「最後まで戦え」とか「軍に協力しよう」とか戦時スローガンがいっぱいあって。ウクライナの世論からいうと、「最後まで戦え」っていうのが圧倒的に強くて、だからゼレンスキー大統領も停戦しにくいだろうなと思いましたね

日本から2日半かけ、単身ウクライナへ渡った西谷さん。今回なぜ、ウクライナを訪れたのか?

フリージャーナリスト・西谷文和さん:
だんだんウクライナへの関心が薄まっていくけれども、やっぱり(ミサイルなどの攻撃が)当たって亡くなる方は、その日その日違うわけで、そういう人たちには違う人生がありますから。爆弾の中で生活している人を撮影して日本の皆さんに見ていただきたいなと

“車の墓場”避難する住民を次々と…

フリージャーナリスト・西谷文和さん:
いまイルピン市内にいますけど、こちら側がキーウであちら側がイルピンとブチャになる。ご覧ください。こういう風に戦争で壊された車が集められています

無残に積み上げられた車の数々。戦闘から避難させようと、多くのボランティアがイルピンの住民たちをキーウまで運ぼうとした。しかしロシア軍は容赦なく、無数の銃弾や砲弾を浴びせた。

兵士:
攻撃から逃れるため乗客は飛び降りましたが、運転手や女の子が亡くなりました

この車には8人が乗っていましたが、ボランティアを含む5人が亡くなったという。

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