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いわゆる“プリゴジンの乱”は終息したが、波紋は広がり続けている。プリゴジン氏、ショイグ国防相などからの一方的な発信はあるものの、事態は流動的かつ不透明なままだ。番組ではある人物にインタビューした。その人は独自のルートでクレムリンの内部情報を知ることができるという。果たして、“プリゴジンの乱”の時、クレムリンでは何が起きていたのか…。そして、この反乱がもたらしたプーチン政権への影響とは…。
【写真を見る】“プリゴジンの乱”の時、プーチン氏は地下壕に隠れていた…独占取材・クレムリンの内部事情を明かす人物【報道1930】
■「プーチン氏は反乱の時、地下壕の中にいた」
ワレリー・ソロヴェイ博士。彼は2008年から10年以上、国立モスクワ国際関係大学の教授に就任していた。この大学はロシアの外交官や情報機関の職員を養成する機関とされる。つまり、政府高官やFSB(連邦保安庁)、SVR(対外情報庁)にも教え子や仲間が大勢いるだろう。そのつながりからクレムリンの内部情報を得ることができるというソロヴェイ博士。プーチン氏の健康状態をYouTubeで顔を出して暴露するなど活発に発信している。
“プリゴジンの乱”はプーチン氏にとって影響は甚大だと語る博士に、反乱にまつわる裏事情を聞いた。
政治アナリスト・歴史学者 ソロヴェイ博士
「(今回の反乱で)プーチン氏はエスタブリッシュメントだけでなく、中レベルや低レベルの官僚に対しても権威を失った。プーチン氏は反乱の時、地下壕の中にいたのだ」
なんと“あの時”、プーチン氏は自ら鎮圧に出るのではなく、モスクワを離れ地下に身を潜めていたというのだ。
拓殖大学 名越健郎 特任教授
「右派のブロガーが書いてるんですが、6月24日(反乱当日)に限ってはベラルーシのルカシェンコ大統領がロシアの大統領だった、と…。ルカシェンコが、何回もプリゴジンと交渉して収めたと後で本人も言っている。その日のプーチン氏の存在感は凄く希薄なんです。(中略)独立系メディアによると、その日の2時15分ごろ、モスクワから大統領専用機が北に向かって飛び立った。バルダイというところに大統領公邸がある。そこに引っ込んでいたという噂です。(中略)一番肝心な時にプーチン氏はいなかった…」